沖縄空手

別人の写真だった? 近代空手の原型築いた糸洲安恒 資料検証「見直さないと」

2019年3月3日 05:00

 琉球王朝時代から活躍し、近代空手の原型を築いた糸洲安恒(1831~1915年)とされる写真について、別人の可能性が高いことが1日分かった。2006年に神奈川県在住の孫弟子(故人)が所有していた空手関連資料の中から写真が見つかって以降、糸洲本人として広く浸透している。沖縄県立図書館に収蔵され、豊見城市の沖縄空手会館でも展示物や映像で紹介されているため、県は「空手界で情報共有し、別人の指摘に間違いがなければ見直さないといけない」と話す。

糸洲安恒とされる中央の口ひげの男性の写真を「歴史的大発見」と報じる月刊空手道(2006年7月号、現在は廃刊)。沖縄タイムスも当時、このニュースを取り上げたが、別人の三宅三五だという指摘が上がっている

 県空手振興課が1日、県庁で開いた研究会「沖縄空手アカデミー」で、同課の非常勤職員で琉球史を研究している仲村顕(あきら)さん(45)が指摘した。

 写真の高齢男性ははかま姿で、白い口ひげが特徴的だ。仲村さんはこの男性が収まった同時代の写真史料を他に7点確認。このうち、琉球大学付属図書館が所蔵する県師範学校の雑誌に掲載された1910年度卒業写真に、当該男性の説明として「三宅先生」の記述があった。このほか県警職員の集合写真にも男性の姿があり、当時の職員録などを調べた結果、この人物は宮崎出身の三宅三五(1847~没年不詳)と結論付けた。三宅は西南戦争に参戦後、沖縄を訪れ、県師範学校や県立中学校、県警などで撃剣(剣道)の教師を務めていた。

 糸洲を巡っては長く肖像画しか存在せず、主に口伝を基に特定したとみられる2006年の写真発見について、仲村さんが再検証していた。現在、沖縄空手古武道事典や各種記念誌などにも、この写真が糸洲として紹介されていることから、新たな史料の発掘や関係者の聞き取りを重ね「本物」の糸洲を探したいと意欲を見せる。

 元県立芸術大学長で沖縄空手師範の宮城篤正さん(79)は「綿密な検証に納得した。糸洲抜きには沖縄空手の歴史は語れない。事実の修正が必要だろう」と見通す。県空手振興課の山川哲男課長は「沖縄空手のユネスコ無形文化遺産登録を目指す中、こうした学術的研究が深まることは空手界の刺激になる」と前向きに捉えた。(社会部・新垣綾子)

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