原発事故を起こした東京電力福島第1原発から20キロ圏内に位置する富岡町。2017年4月に居住制限が解かれ今年2月現在、864人(609世帯)が暮らしている。町に戻って憩いの場をつくった人。週末になると町に帰る人。一時は町民が離散した町に再び集う人々がいる。(社会部・宮里美紀)

名嘉幸照さん(右)に近所の近況を話す吉田勇さん=1日、福島県富岡町

 1日、原発の整備を請け負う東北エンタープライズ会長の名嘉幸照さん(77)=沖縄県伊是名村出身=は40年近く住んでいた同町を訪れた。原発事故後、いわき市へ会社と自宅を移し、週末になると同町の友人らに会いに行く生活を続ける。

 まず立ち寄ったの音楽喫茶「ミュージックサライ」。真新しい店に入ると「武(たけ)ちゃん」こと遠藤武さん(75)が笑顔で出迎えた。部屋にはステージ付きカラオケもある。遠藤さんは震災後、郡山市にマンションを購入し、帰還する気はなかったが「閑散とした町を見たら、みんなの憩いの場が必要だと思って」一念発起。昨年7月に店を開いた。

 「こないだの町民劇の日は30~40人来て、座る所がなくてさ」。町民が笑い合う姿を思い出し、うれしそうに報告した。

 遠藤さんに見送られ、店を後にした名嘉さんは再び静まった町へ。新築の家や災害公営住宅、建設中のマンションが立ち並ぶ。道を歩く人はまばらだ。

 かつては夜ノ森公園へ通じる桜並木が有名で、春になると花見客であふれた。名嘉さんが「全然違う町みたいだ」とつぶやく。車を走らせると、民家の前で一人たたずむ男性がいた。

 名嘉さんのご近所だった吉田勇さん(83)だ。名嘉さんを見ると、吉田さんはみるみる目尻を下げ、満面の笑みを浮かべた。「いつ来たの。ぜひ家内とも会ってよ」「いつでも家に寄って」。せきを切ったように話した後、自らに言い聞かせるように力を込めた。「この町もどんどん人が戻ってくるよ」

 名嘉さんは日が暮れる前に帰路に就く。いわき市まで約40キロ、混む時は車で片道1時間半かかる。最近は腰も痛みだし、富岡町からいわき市へ通勤するとなると正直つらい。当分、いわき市で暮らすつもりだ。同町では住民票のある1万2142人が町外で暮らす。

 家庭を築き、会社を建て、子を育てた町。風景も変わり、生活圏から離れても通い続ける理由を聞くと、名嘉さんは悩みながら答えた。「何となく、よく眠れる気がするんだよね」。今週もまた、富岡町に向かう。