東日本大震災からきょう11日で丸8年となる。

 当時、小学校の卒業を控えていた6年生は今年、成人式を迎えた。

 立派に成長した子どもの姿に「もう8年」と感慨を覚える一方、津波で子を亡くした母の「6年生のまま」との言葉に「まだ8年」を痛感する。

 人それぞれ感じ方は違うが、未曽有の災害という体験の重さを背景とした「もう」であり「まだ」だ。深刻かつ広範囲な被害だっただけに、「忘れたい」と「忘れたくない」が複雑に絡み合う。

 節目の日を前に、津波に襲われた宮城県立気仙沼向洋高の旧校舎の一般公開が始まった。あの日、津波は校舎の4階床上まで達し、教員ら約50人が屋上に取り残された。

 広く防災に貢献する施設にしていきたいと、気仙沼市が震災遺構として保存を決定。流れ込んだ車や割れた窓ガラス、壊れた机などを残したまま見学スペースを設けた。

 震災遺構を巡っては、津波で28人もの犠牲者を出した岩手県大槌町旧役場庁舎の解体が1月に始まり、建物が姿を消した。

 町を二分する存廃議論の末、保存を望む住民らが解体差し止め訴訟を起こすにいたったものの、訴えは退けられた。町長が重視したのは「震災を思い出すので庁舎を見たくない」という住民の声だった。

 一見相反する感情のように思えるかもしれない。だが「忘れたい」も「忘れたくない」も悲しみを乗り越えるためであり、単純に割り切れるものではない。

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 震災遺構として市町村が管理・所有している建物が、岩手、宮城、福島の3県に少なくとも23件ある。

 8年前、ここで何があったのかを追体験できる遺構は、震災や津波被害の深刻さを後世に伝えていく大事な役割を担う。場に刻まれた記憶に主体的に接すべきは、被害を目の当たりにした被災者というより、地震や津波を経験していない私たちの方だ。

 共同通信の調査によると、震災遺構や資料館を管理する自治体担当者の6割以上が、来場者の減少など風化に危機感を募らせていた。

 進む忘却にどう立ち向かえばいいのか。

 「3・11」に学び、記憶を紡ぎ、次に備える-。風化を少しでも食い止めることが「災後」を生きる私たちの責務である。歴史を伝達する重みを肝に銘じたい。

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 東日本大震災による死者は1万5897人、行方不明者は2533人。避難生活を送る人は、いまだ約5万2千人に上る。コミュニティーの再生、心のケアといった課題は残ったままだ。

 震災から10年となる2020年度末で廃止となる復興庁の後継組織の在り方も今後の大きな焦点である。 

 昨夏、全国知事会は平時の予防対策から復旧復興までを担う「防災省」の創設を提唱した。

 防災大国の備えとして、強力な調整力と司令塔機能を持った一元的組織の検討を進めてもらいたい。