「サメにやられたら命はないことは分かっていた。だが、目の前に助けを求める多くの人たちがいた」-。1944年8月22日、米軍潜水艦の攻撃を受け沈没した学童疎開船「対馬丸」の遭難者救助に当たった漁船「開洋丸」の通信長だった奥田一雄さん=福岡市=(89)が11日、当時の状況を語った。