「サメにやられたら命はないことは分かっていた。だが、目の前に助けを求める多くの人たちがいた」-。1944年8月22日、米軍潜水艦の攻撃を受け沈没した学童疎開船「対馬丸」の遭難者救助に当たった漁船「開洋丸」の通信長だった奥田一雄さん=福岡市=(89)が11日、当時の状況を語った。

対馬丸の遭難者を救助した時の状況を語る奥田一雄さん。当時のけがが原因で右脚が悪く、つえを手放せない=11日、福岡市内の自宅
傷痕に宿る「対馬丸」救助 当時を語る
2014年5月12日 8:13有料
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