沖縄県名護市辺野古の集落の一角に辺野古相撲道場がある。2月13日、中部農林高校3年の翁長海成さん(18)は、その土俵の上に立ち、言った。「懐かしいですね。帰ってきたって」

辺野古相撲道場から全国へと羽ばたいた翁長海成さん=名護市辺野古

原点は辺野古の相撲道場

 昨年9月、翁長さんは福井県にいた。相撲少年男子の県代表として、国体に臨んだ。1回戦は京都代表と対戦。167センチの翁長さんよりも大きい選手が相手。いったん押されたが、右下手を取ると、左も取れた。思い切り投げ、勝利を収めた。相撲漬けの3年間の中でも一番良い形だった。

 その相撲人生の原点は辺野古相撲道場だ。

 60年前ごろ、辺野古に移り住んだ奄美大島出身の村富博さん(2017年死去)が日本本土の相撲を広げた。子どもの健全育成を兼ねて指導し、全国大会に出る選手も輩出した。

 翁長さんは幼稚園の頃から父の出身地の辺野古で暮らし、野球と相撲を始めた。毎日違う練習メニューの野球と違い、相撲はすり足など基礎の繰り返し。「何回か逃げた」。でも、続けるうちに生活の一部になった。

 中学では野球の部活が終わると相撲の稽古をした。高校でも野球を続けるつもりだったが、肩の故障で断念。進路を考えていた時、中部農林高相撲部の顧問から、受験を勧められた。当時の体重は60キロ台。体重を増やすと、だんだん当たり負けしなくなった。

 高校時代は先生の家に下宿したが、今年の初めからは実家に戻って暮らした。家は海を見渡す辺野古の高台にある。子どもの頃から眺めるのが好きだった海を見ると、一抹のさみしさが伴う。新基地建設に伴い、護岸に囲まれた海。土砂投入も始まった。

地域外の人に言われたくない

 ただ米軍キャンプ・シュワブはなじみの場所だ。基地内で交流もしたし、地元行事に米兵たちも参加してきた。

 辺野古区は、条件付き容認を掲げている。大人たちも本当は来てほしくないのだろう。それでも、止まらぬ国策の下、容認しつつ、地域のためになることを考えているのだと思う。地域外の人に「辺野古の人は金のため受け入れた」と言われるのは納得いかない。

 「ずっとやるとは思っていなかった」という相撲。4月からは東京の大学で続ける。今月6日には東京に旅立った。いつか辺野古には戻ってくるつもりだ。その時は基地建設で海は変わっているかもしれない。それでも変わらずにいてほしいことがある。「ほとんどが顔見知り」で外を歩けば声を掛けてくれ、行事はみんなで楽しむ。そんな地域のつながりだ。

 夢がある。故郷の土俵で語った。「ここで子どもたちに相撲を教えたいですね」。教師となって指導者になるため、大学では教員免許の取得を目指す。(社会部・岡田将平)

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 「ここで暮らす@辺野古」は随時掲載。新基地建設が進む辺野古の人たちの暮らしを見つめる。