25年前、ニューヨーク県人会には年配の2世らが多く参加していた。ある2世の女性が「親の口癖は『我慢しなさい』だった」と話した。温故知新が常に脳裏にあり、沖縄の文化・美徳についてユンタクした。  

 島ンチュは昔、我慢することが当たり前の社会で育ったと思う。私が沖縄戦時、防空壕で繰り返し耳にしたのは「ガマンセー」と「ニジレー(忍べ)」の両方だ。

 日本では、65歳から74歳までを「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」といい、78歳の私は後期高齢者になる。この呼び方を知った時、正直ショックだった。年齢相応の身体能力にこだわる必要があるのかと、久しぶりにテンポの速いエイサー曲「海ヤカラー」に合わせて踊ってみた。大太鼓を担いでバチでたたきながら2回転したら、遠心力で振り回されてストップ。高齢者相手の看護師をしている次女にその話をしたら大笑いした後、大声で私を叱り始めた。

 最近、長女の推薦で主治医を変えた。韓国系2世の丁重な女性の医師で、彼女にも後期高齢者の母親がいる。長女は私の心身の健康の話もしたという。新しい医師との初めての面接には次女も同伴した。娘が私個人の医師に、それも初診に同伴するのはこれで2度目だ。

 1回目は十数年前、関節の専門医に面接に行った時である。出掛ける前に娘がぜひ同伴すると言って口論にまでなった。付き添われるまでもないと思ったが、雨天で遠方までの運転のため、私は我を張るのをやめた。

 その専門医は、机の向かい側に腰掛けている私たち母娘に問診を始めた。ベテランに見える医師は、積極的に話そうとする娘の態度を察していた。娘は話し出した。「ドクター、私の母は自分の症状に関してうそをつきます。先生が私の母の専門医師として治療を始める前に、母の事実を知らなければいけないと思い、同伴しているのです」 

 専門医は愛想よく慣れた口調でこう言った。「アジア系の年配の女性たちはいつも辛抱し、我慢する傾向がある。私の親戚のユダヤ系の年配女性たちと似ている」。そう言われて、私はふとあの2世の言った言葉「我慢しなさい」を思い出した。

 専門医は診察を終え、娘と私に「我慢せずに症状が軽いうちに治療を始めていたら悪化を避けられたでしょう。診断はシビアケースです」と言った。我慢することの美徳どころか実にむなしい現実に直面し、あぜんとした。この体験は、見えで我慢することを捨て、素直に対応することを教えてくれた。(てい子与那覇トゥーシー)=第4月曜日掲載

(写図説明)30年以上前からたたいている太鼓。自覚症状を感じなかったのか、それとも感じないようにしていたのか