川崎沖縄県人会の創立90周年を記念する芸能公演が先日あった。発足時の会員は千人ほどで、一番多かったのは紡績会社に出稼ぎに来ていた女工さんたちだった

▼習慣や言葉の違いからさげすまれながら、低賃金の過酷な労働に耐えた。民謡「女工節」に歌われる。〈紡績やアンマ 楽んでぃる来ゃしが 楽やまたあらん 哀りどアンマ〉。不自由ない現在からは見当もつかないつらさであったに違いない

▼生活に仕送りにと働き、育ててくれた父母の労苦を心で掘り返したのかもしれない。公演での我如古より子さんの歌声に、涙を浮かべ聞き入るご年配の姿を多く見た

▼川崎市は1952年、この地に息づいた琉舞を無形文化財に指定した。国の文化財保護法ができてわずか2年後で、芸能を保護する行政が少ないころである。異郷に開いた沖縄文化の華は、懸命に生きてきた人たちが耕してきた土壌あってのことだろう。若者が継いで養分いっぱいに咲かせている

▼いつか花をつけ実を結びたいとの思いは、現代の若い会社員にも通じよう。新人は社会に出て2カ月になる。勝手を知らずにしかられ、先輩に意地悪くなじられ、新人でなくとも苦々しく過ごす夜もあろう▼気もふさぎがちな梅雨時でもある。今は苦言も恵みをもたらす雨と割り切り、自らの土壌を耕す日々としよう。(宮城栄作)