遺体を洞窟や墓の中などに置き、風化した後に残った遺骨を清めて厨子(甕(かめ))に納める琉球弧の伝統的な葬法、「洗骨」の様子を1977年に沖縄市園田で撮影した写真がこのほど確認された。撮影したのは会社役員の照屋寛則さん(65)=沖縄市=で、日本大学芸術学部で写真を学んでいた時に親族の洗骨を記録した。専門家は「沖縄本島は70年代には火葬が普及しており、その時期の洗骨は珍しい」と話している。写真21点は4月9日から14日まで、那覇市久茂地のタイムスビルで展示する。(学芸部・城間有)

最後に故人の自宅で保管されていた入れ歯と頭蓋骨を厨子に納める女性たち(照屋寛則さん提供)

頭蓋骨は特に丁寧に清められる(照屋寛則さん提供)

1977年に沖縄市園田で行われた洗骨を撮影した照屋寛則さん=22日、宜野湾市内

最後に故人の自宅で保管されていた入れ歯と頭蓋骨を厨子に納める女性たち(照屋寛則さん提供) 頭蓋骨は特に丁寧に清められる(照屋寛則さん提供) 1977年に沖縄市園田で行われた洗骨を撮影した照屋寛則さん=22日、宜野湾市内

 照屋さんが昔撮影したネガフィルムを整理していたときに見つけ、デジタルデータにして傷を修正、当時の画像をよみがえらせた。

 男性たちが墓の入り口を開けてひつぎを外に出すところから、女性たちがひつぎの中から素手で遺骨を取り出し、洗った後に厨子に納め、墓の奥に安置する一連の様子を撮影している。頭蓋骨は日光に当てないように布をかぶせて傘を差し掛けている様子が分かる。

 洗骨は、女性団体による廃止運動などを経て火葬場の普及が進み、沖縄本島では70年代にはほとんど行われていなかったという。

 琉球大学の津波高志名誉教授(民俗学)は「これはかなり最後の方ではないか」とみる。「60年代に亡くなって何らかの理由で洗骨が延びたのか、火葬を拒んだ故人の意向なのか。いずれにしても典型的な洗骨を記録しており、貴重な写真だ」と話した。

 照屋さんによると現在、この時の洗骨について詳細に記憶している人はおらず、故人が亡くなった年は不明。24ミリの広角レンズを使い、かなり接近して撮影したというが、親戚ということもあり、みな自然な様子で写っている。写真の公開には本家の承諾を得た。

 「当時は写真専攻の学生として、記録に残していこうと思い素直にシャッターを切った。発表後は研究のための資料として役立ててもらいたい」と話した。