石垣島のスマムニ(島言葉)普及・継承に向けたブログ「スマムニ広め隊」を開設している東大浜剛さん(56)=市石垣=が、市内で定期的に講座を開くなど活動の幅を広げている。島に伝わる民話を生まれ育った四カ字(新川、石垣、大川、登野城の4字)の言葉「スィカムニ」に訳し、月2回の講座で指導。受講した「隊員」と一緒に福祉施設で慰問公演も行っており、活動5周年を迎える新年度からは子どもたちに継承しようと学童訪問を始める。(八重山支局・新垣玲央)

「野底マーペー」にまつわる民話を紹介しながら、スマムニを指導する東大浜剛さん(右奥)=石垣市平得・ゆんたくガーデン

デイサービスセンターでの慰問公演で、「スマムニ広め隊」の隊員たちと島の昔話を披露する東大浜剛さん(中央)=石垣市大浜

「野底マーペー」にまつわる民話を紹介しながら、スマムニを指導する東大浜剛さん(右奥)=石垣市平得・ゆんたくガーデン デイサービスセンターでの慰問公演で、「スマムニ広め隊」の隊員たちと島の昔話を披露する東大浜剛さん(中央)=石垣市大浜

 ブログの開設は2014年4月。その前年、母和子さんが86歳で急逝し、それまでの日常で母と交わしていたスマムニを使う場までも失ったのがきっかけだ。

 「八重山の文化、アイデンティティーに関わるスマムニがこのまま絶えてしまうのでは」-。親を亡くした喪失感、島言葉を話せない寂しさとともに感じたのが、生まれ島の言葉が消滅危機に瀕する現実だった。

 高校卒業後、大学進学のために島を離れ、東京で13年間、学習塾で塾長を任された宮古島で7年間過ごした。38歳で石垣島に戻った時に、「スマムニが話されていない」と感じたが、それ以上に危機感が募った。

 「外に出たからこそ、島言葉の良さ、自分の足元の素晴らしい文化を感じた。石垣島は移住者も増え、宮古島のように話せる人は少なくなっている。スマムニを残すことが、ここに住み、生まれ育った人の役目だと思った」と振り返る。

 ブログでは毎日一つずつ八重山の「黄金言葉」、ことわざをスマムニで解説。叙情歌「とぅばらーま」を動画で配信したり、市文化協会が発刊した歌集の歌詞や2018年までのとぅばらーま大会の入賞作品も解説などを交えて紹介した。

 ただ、ブログの閲覧数は伸び悩み、インターネット上だけの「一方向」的な情報発信に限界を感じた。そこで2015年8月に始めたのが、スマムニ講座だ。市平得の古民家を拠点に自然文化の保護活動など事業展開する「ゆんたくガーデン」代表の大倉弘美さん(61)=東京出身=が協力し、寺子屋の場を提供した。

 講座は単に言葉を教えるのではなく、石垣島や八重山の風土や歴史文化も感じ取ってもらおうと民話などを取り入れた。「隊員」は今では30人余に増え、昨年12月から始めたデイサービス訪問には6人ほどが毎回参加。民話のほか、東大浜さんがスマムニで作った歌詞を「ふるさと」のメロディーに乗せ披露している。

 「あったらさーや(大切なのは)子や孫(ふぁー・まー) まーぬふどぅびすどぅ(孫の成長が)たぬしみ(楽しみ) すさいん(白髪)びだんぬん(しわが)ふーさーならばん(増えても) がんじゅーどぅたから(元気が宝)いつまでぃん(いつまでも)」-。

 詞に込めた思いは、戦前、戦後を通し島を担ってきた先達への感謝と敬意。そして、次世代を担う子どもたちに言葉や文化を継いでいきたいとの決意もある。「子どもたちに文化をつなぐことが当初からの目標。思いを伝え、継承したい」と東大浜さん。いつかは、多くの子どもたちが「すまむにを話す大会」で堂々と発表する姿を夢見ている。