74年前に「集団自決(強制集団死)」が起きた沖縄県読谷村波平のチビチリガマで6日、遺族会主催の慰霊祭があった。生存者を含む遺族や関係者ら約50人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。

チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=6日、読谷村・チビチリガマ

 母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(64)は悲劇が起きた背景には皇民化教育があったと指摘。「戦争体験者は『本当のことが分かっていれば』『うその教育を押し付けられなければ』と口々に叫んでいた。チビチリガマのような悲劇を再び起こしてはいけない」と訴えた。

 1945年4月1日、沖縄本島に上陸した米軍は2日、チビチリガマ周辺に侵攻。ガマに避難していた住民約140人のうち80人余りが亡くなった。当時5歳でガマに避難したが、家族8人が生き延びた上地竹さん(79)は「平和が続くことを願うだけです」と声を振り絞った。

 親族6人が犠牲になった天久隆さん(63)の父親の故・昭源さんは、シムクガマで捕虜となった。「おやじは当時のことを全く話さなかった。今になっていろいろ聞きたかったと思うが、心の内は苦しかったのだろう。二度とこういうことが起きてはいけない」と話した。

 遺族会の與那覇徳市さん(77)は「今の政治家が話し合いをせず、大切なことに向き合わないことを危惧している。総理はここに来て手を合わせてほしい」と現在の政治に苦言を呈した。

 東京から来た加藤元さん(59)は、平和ガイドの知花昌一さんから沖縄戦の話を聞き、どうしても現場を見たいと慰霊祭に足を運んだ。「言葉もない。ガマの中の骨や遺品が、ただただ胸に迫る」と亡くなった人の冥福を祈った。