米国アトランタ州の日系2世、ナタリー・ヤスミネさん(52)が4月9〜19日、沖縄に滞在し、母・安次嶺節子さん(1939〜90年、享年50)の生家がある町を訪れた。節子さんは米軍人との結婚後、渡米したきりとなっていたため、約50年ぶりに親族が対面した。(南部報道部・堀川幸太郎)

ナタリーさんの(左から)祖母・安次嶺ウシさん、母・節子さん、祖父・亀造さん。1962年ごろ祖母方の親族・金城昇さん(右端)が一家の住んでいた大阪大正区を訪ねた時とみられる(ナタリーさん提供)

(左から)具志頭歴史民俗資料館の新里尚美さん、親族の新垣清正さん、ナタリー・ヤスミネさん、ボランティア通訳の高山厚子さん=18日、南風原町の県公文書館

ナタリーさんの(左から)祖母・安次嶺ウシさん、母・節子さん、祖父・亀造さん。1962年ごろ祖母方の親族・金城昇さん(右端)が一家の住んでいた大阪大正区を訪ねた時とみられる(ナタリーさん提供) (左から)具志頭歴史民俗資料館の新里尚美さん、親族の新垣清正さん、ナタリー・ヤスミネさん、ボランティア通訳の高山厚子さん=18日、南風原町の県公文書館

■結婚後に渡米

 ナタリーさんは滞在中、伯母・トシ子さんらが沖縄戦で亡くなっていたと知った。母が沖縄出身ということを知らせず、日本のこともほとんど語らなかったのを「戦争で家族が犠牲になり、米軍人の妻として渡米したということに複雑な思いがあったのかもしれない」としのぶ。

 節子さんは戦後、父・亀造さん(1910〜85年)らと大阪で暮らしていた。59年に米軍人のロバート・ジーン・シャックさん(1934〜2016年)と結婚後、米コネティカット州に移り住んだ。

 異国で節子さんは家事に専念し、日本人の友人は1人だけ。移住から数年後、母・ウシさんが亡くなったのもショックだったようだ。

 ナタリーさんは、自らを含め5人の子を育てた節子さんを「孤独だったと思う。気軽に日本に里帰りできるほど裕福でもなかった」と振り返る。

■大阪生まれ

 節子さんの没後、ナタリーさんは「母や母の故郷との絆を大切にしたい」と姓を安次嶺に改めようとした。だが誤ってヤスミネと手続きされた。「沖縄で正しい読み方が分かったから、また手続きしないと」と笑う。

 娘の母に対する思いを知っていたのだろう。ロバートさんは16年に81歳で亡くなる前、節子さんから預かったとみられる戸籍をナタリーさんに渡した。

 年月を経て茶色くなった紙に「東風平村」(現・沖縄県八重瀬町)の文字があった。大阪生まれと聞いていた母の本当の故郷だった。

■親族と対面

 会社員のナタリーさんは仕事の忙しい合間を縫って18年、ルーツ探しを手伝う沖縄県立図書館に問い合わせた。同館から連絡を受けた八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の調査を経て、安次嶺家の親族・新垣清正さん(65)=八重瀬町屋宜原=にたどり着いた。新垣さんは祖母方の親族、金城聡さん(53)=那覇市=も見つけた。

 ナタリーさんは、紙1枚の戸籍から始まり、安次嶺家の清明祭などを訪れた旅を「母を身近に思えた。沖縄の歴史や温かい家族に触れ、誇りを感じる」と話す。20年の「世界のウチナーンチュ大会」に合わせ、きょうだいと共に沖縄を再訪するつもりだ。