1975(昭和50)年開幕の沖縄国際海洋博覧会で、「未来の海上都市」として注目を集めたアクアポリス。沖縄県名護市のレストラン「エメラルド」店長で大阪府出身の川崎壽さん(66)は、海洋博終了後に再オープンしたアクアポリス内でレストランを17年営んだ。
国内外から客がひっきりなしに訪れ、大型連休や夏休みには100以上ある客席がいつも満杯だった。大スクリーンで映像を楽しめるホールもにぎわった。
釣りを楽しむ地元の人たちもいた。潜水士の免許を持っていたため岩陰に魚が引っかかると「ちょっと捕ってきて」と依頼され、潜ったことも懐かしい思い出だ。
台風時は陸とつなぐ橋から切り離され、沖合に避難。船員の食事を作るため、船の中で1週間過ごしたこともあった。
だが、次第に客足は遠のき、維持費がかさんで93(平成5)年に閉館。再開発も頓挫し、2000(平成12)年、鉄くずにするため中国上海へとえい航された。
123億円をかけて建造された「未来都市」の最後を、川崎さんは地元の数人と見送った。「アクアポリスは僕の青春そのもの。久々にあの場所に行ってみようかな」と語った。(北部報道部・當銘悠)