元号が1日で「平成」から「令和」に変わった。前天皇、皇后ご夫妻が沖縄を訪れたのは、皇太子の時から数えて11回。ご夫妻と接した経験がある戦争体験者は、慰霊の旅を続け、沖縄に思いを寄せる姿を評価した。一方で、悲惨な体験から、天皇制に複雑な感情を抱く人もいる。太平洋戦争を経験した4人に、ご夫妻や新天皇陛下への思いを聞いた。(社会部・新垣卓也、國吉美香)

2018年3月、沖縄県の与那国空港で詰め掛けた人たちに笑顔で手を振る両陛下

前天皇ご夫妻と懇談した当時を振り返る中山きくさん=25日、那覇市内

対馬丸記念館で前天皇ご夫妻に会った当時を振り返る真栄城嘉訓さん=23日、那覇市内

「会いたいけど、会いたくない」と天皇陛下への複雑な思いを語る平良啓子さん=24日、大宜味村内

サイパンでの思い出を語る平良善一さん=19日、那覇市・沖縄タイムス

2018年3月、沖縄県の与那国空港で詰め掛けた人たちに笑顔で手を振る両陛下 前天皇ご夫妻と懇談した当時を振り返る中山きくさん=25日、那覇市内
対馬丸記念館で前天皇ご夫妻に会った当時を振り返る真栄城嘉訓さん=23日、那覇市内 「会いたいけど、会いたくない」と天皇陛下への複雑な思いを語る平良啓子さん=24日、大宜味村内 サイパンでの思い出を語る平良善一さん=19日、那覇市・沖縄タイムス

沖縄への思い、新陛下も

■中山きくさん 元白梅学徒隊

 「昭和天皇が一言やめようと言ってくれていれば、沖縄戦の前に、戦争は終わっていたかもしれない」

 沖縄戦で、野戦病院に動員された県立第二高等女学校の白梅学徒隊の元学徒、中山きくさん(90)=那覇市=は戦後、そんな思いを抱いてきた。

 誕生日は、昭和天皇の即位の礼があった1928年11月10日。菊花紋章をイメージした「菊」と名を付けられた。だが焼失した戸籍を再登録する時、昭和天皇へのわだかまりが消えず、名前を「きく」に変えた。

 2012年11月、糸満市の平和祈念堂で、来県した前天皇ご夫妻と約10分面会した。県内に九つの女子学徒隊があったことや、語り部活動の話をすると、最後に2束の白菊を渡された。

 同窓生を悼んで造った「白梅之塔」に供えると伝えると、美智子さまが塔の方角を尋ねられ、立ち上がったご夫妻が塔の方向に頭を下げたという。その行動に、涙が出そうになった。

 まだ昭和天皇へのわだかまりの気持ちは消えない。ただ、ご夫妻は沖縄に心を寄せてきたと感じる。「お二人を見て育った新天皇陛下も思いを引き継いでくださるでしょうし、そうであると信じたい」と語った。

直に会話し気持ちに変化

■真栄城嘉訓さん 「対馬丸」沈み3日漂流

 「謙虚でつつましく、持っていたイメージとは全く違った」。「対馬丸」で姉を亡くし、3日間漂流した真栄城嘉訓さん(85)=那覇市=は前天皇ご夫妻に会った印象をこう振り返る。

 対馬丸に乗船した当時は泊国民学校5年生。枕代わりにしていた救命具を着けて、沈んでいく船の甲板から真っ暗な海に飛び込み、筏(いかだ)に乗って3日間漂流した。一緒に対馬丸に乗っていた姉は、帰らぬ人となった。

 海にのみ込まれた多くの命−。当時の光景は、今も目の前に浮かぶという。「終戦と同時に元号は頭から消えた」。戦争体験者として、天皇制に対する嫌悪感が少なからずあった。

 気持ちに変化が生まれたのは2014年6月の前天皇ご夫妻との懇談。

 「何日ぐらい海に浮かれてたんですか」「ご苦労なさいましたね」。顔を突き合わせ、生存者ら一人一人の話を真剣に聴く姿は「考えていたのとは違った。本当に真面目な人柄だと思った」と話す。

 令和へ元号が変わることに、感慨はない。「ただ、子や孫にあんな経験はさせたくない。それだけですよ」。戦争のない時代が続くことを切に願う。

とにかく平和な時代になれば…

■平良啓子さん 「対馬丸」で親族ら亡くす

 1944年、米軍潜水艦の魚雷に撃沈された学童疎開船「対馬丸」に乗り、自身は生き残ったが、親族や友人を亡くした平良啓子さん(84)=大宜味村=は2014年6月、那覇市の対馬丸記念館を訪れた前天皇ご夫妻との懇談に参加しなかった。「沖縄に寄り添う前陛下の姿勢に文句はない。でも、あの頃を思い出してしまうから、会いたいけど会いたくないんですよ」

 疎開当時は国頭村の安波国民学校4年生。徹底した皇民化教育で「国のため、天皇のため死を恐れない」という思想をたたき込まれた。「天皇制が続く限り、あの時代に逆戻りしないかという懸念は消えない」と語気を強める。

 両親の反対を押し切って平良さんに付いて来た、いとこの時子さんは亡くなった。「対馬丸に乗らなければ、時子は生きていたかもしれない。私は戦争の被害者でもあり、加害者でもあると思うと苦しくなる」

 人々が皇居で日章旗を振る光景には違和感を覚える。令和への代替わりで、国民が浮き立つ様子を素直に見ていられないという。「やっぱり死んだ同級生や家族のことを考えると、はしゃいでいられない」と平良さん。「とにかく、平和な時代になれば」と語った。

二度と繰り返してはいけない

■平良善一さん サイパンで幼少期生活

 サイパンで少年時代を過ごし、2005年、前天皇ご夫妻を同島で出迎えた南洋群島帰還者会の元会長、平良善一さん(89)=沖縄市=は、ご夫妻の姿に「沖縄と真摯(しんし)に向き合い、負の遺産を継ぐ覚悟を感じた」と話す。

 空襲が激しくなった時、平良さんは14歳。捕虜になるまで山中をさまよい、親戚の中には一家全滅した家族もいた。サイパンは幼少期を過ごした思い出が詰まった島であり、多くの犠牲者を見た島でもある。

 その地にご夫妻が訪れ、バンザイクリフでゆっくりと頭を下げた時、「報われた。犠牲者にも伝わったはず」と感じたという。

 以前から、沖縄へ気持ちを寄せていることは感じていた。1975年7月、皇太子時代にひめゆりの塔(糸満市)を訪れたご夫妻に火炎瓶が投げつけられたのに、その後も日程を変えず沖縄に滞在したことも、強い覚悟の表れに映った。

 平良さんには、摩文仁の丘から見える景色は、今でもバンザイクリフとそっくりに見えるという。

 「二度と繰り返してはいけない。どんな時代が来ても、戦争に踏み込まない時代であってほしい」と新天皇陛下への期待を込めた。