沖縄タイムス+プラス ニュース

平和憲法の下へ帰ろう・・・復帰前から求め続けた平和と人権

2019年5月3日 09:00

 平和憲法の下へ帰ろう、祖国復帰を勝ち取ろう-。

立法院会議議事録など復帰前の資料を見返す古堅実吉さん=那覇市内

米軍の不当支配などを訴えた1965年の4・28祖国復帰要求県民総決起大会。60年代中ごろから沖縄への憲法適用が叫ばれた=1965年4月、神原小学校

立法院会議議事録など復帰前の資料を見返す古堅実吉さん=那覇市内 米軍の不当支配などを訴えた1965年の4・28祖国復帰要求県民総決起大会。60年代中ごろから沖縄への憲法適用が叫ばれた=1965年4月、神原小学校

 本土復帰前の1965年3月12日、琉球立法院の議場。野党を代表して登壇した元人民党立法院議員の古堅実吉さん(89)は、思いを強くしていた。馬てい形に並ぶ議席から同僚議員の視線が一斉に集まる。心臓の音が高まるのを感じた。

 「ただいま議題となっております住民の祝祭日に関する立法の一部を改正する案について、その骨子と提案の理由について申し述べたいと思います」

 議題となった祝祭日は5月3日の憲法記念日。当時の沖縄は1961年公布の「住民の祝祭日に関する立法」で休日が定められていたが、憲法記念日は入っていなかった。米軍施政権下で日本国憲法が及んでいないことが主な理由だ。

 古堅さんは用意した原稿に目を落とし、一呼吸置いてから続けた。

 「日本国憲法がわれわれ県民の憲法ではないと考えている県民はいないだけではなく、全県民は憲法がわが沖縄にも適用される日の一日も早からんことを心から願い続けているというのが実際であります」

 米軍統治下の沖縄は住民の人権や自由、生活の安全が守られない状態が続いていた。記念日を設けることで米軍支配から脱却し、憲法適用を目指す闘いを強化しようと考えた。

   ■   ■

 演説を終えると、議長が「質疑ございませんか」と他の議員に促した。

 「反対意見が出る」。古堅さんは身構え、議場を見渡した。4年前にも同様の提案をしたが、保守系議員から「憲法の適用がないのに記念日はおかしい」と反対されていた。

 しかし、手を挙げる人は誰もいない。「質疑なし」。誰かが叫んだ。拍子抜けするほど淡々と議事は進行し、前夜までに練り上げた想定問答は幻となった。

 古堅さんは「県祖国復帰協議会が結成され、復帰運動への機運が高まってきた時期。今思えば誰もが憲法の下へ帰りたいと思ったのだろう」と振り返る。

 法案は同年4月9日の本会議で全会一致で可決された。絶対的な権力を持った高等弁務官も、世論を気にしてか、議案に対する拒否権を発動しなかった。

 「平和憲法への復帰」は復帰運動の大きなスローガンになった。多くの住民が平和憲法を持つ日本という国に憧れ、平和への志向を強めていった。しかし、待ち受けていたのは理想とはほど遠い現実だった。

(社会部・下里潤)

◇   ◇

 5月3日、令和に入り初めての憲法記念日を迎えた。沖縄への憲法適用は本土から遅れること25年。復帰後も広大な米軍基地が残り、人権が脅かされる状態が続く。改憲への動きが加速する中、沖縄の憲法史を振り返り、新時代に憲法が果たす役割を考える。

前の記事へ 次の記事へ
沖縄関連、今話題です(外部サイト)
JavaScriptをOnにしてください
きょうのお天気
アクセスランキング