今年は「組踊」の初演から300年の節目にあたる。記念事業の開幕式典が開かれ、年内まで県内外で催される一連の事業の始まりが告げられた。実行委員会会長の玉城デニー知事は「組踊は県民の宝」とたたえた。次の100年へ向けさらなる発展を期待したい。

 組踊は、音楽と舞踊、琉歌を基調とした韻文のせりふ(唱え)で構成される沖縄伝統の歌舞劇。琉球王国時代、中国から琉球に派遣された冊封使歓待のため踊奉行だった玉城朝薫(1684~1734年)によって作られた。初演は1719年。唱えには独特の抑揚があり、歌三線は登場人物の心情を切々と歌い上げる。それに琉球舞踊が加わり総合美を作り上げる。

 しかし300年の間には幾度となく存続の危機にあった。最初の危機は、同じく今年140年の節目を迎える「琉球処分」。琉球王国の消滅により上演の機会を失った。2度目は沖縄戦。県民の約4人に1人が犠牲になり、首里城などほとんどの文化遺産が破壊された。沖縄の危機は組踊の危機でもあった。

 それでも組踊は、脈々と受け継がれてきた。

 戦禍も生々しい1945年8月、県内各地の収容所から芸能家たちが集められ「沖縄芸能連盟」が結成された。同12月、石川市(現うるま市)の城前小学校の校庭で戦後初の組踊が上演された。

 校庭に並べたドラム缶の上に板を敷き、背景に幕を張っただけの粗末な舞台だったが、人々は食い入るように見つめたという。灰じんから立ち上がろうとする県民と共に、組踊はあった。

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 1972年の日本復帰と同時に国の重要無形文化財に指定された組踊。2010年にはユネスコの世界文化遺産代表リストにも登録されている。後継者が着実に育ち今、舞台に活気を与えている。礎となっているのが県立芸術大学と国立劇場おきなわの存在だ。

 記念事業の特別企画インタビューでは、立方で劇場の芸術監督を務める嘉数道彦さんや、歌三線を務める島袋奈美さんら若手実演家が、同大学の学生時代に組踊の魅力を知ったと話している。劇場では定期公演が開かれ、新たなファン層も開拓し始めている。

 17年の文化芸術振興基本法改正では、能や歌舞伎と並んで国が技能継承を支援する伝統芸能にも追加された。組踊の継承は次のステージを迎えている。

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 伝統芸能の発展に県民の関心と支援は欠かせない。三線や琉球舞踊は小中学校のクラブ活動に取り入れられ、エイサーが運動会の演目の定番となって久しい。これらは今や県外にも広がりを見せている。組踊も低年齢から親しめる環境がもっと必要だ。

 「広げようこの感動を つなごう まだ見ぬ未来まで」

 記念事業のキャッチコピーで最優秀賞を受賞した名嘉うららさんは小学5年生の時、組踊を初めて鑑賞して感動したという。文化の継承と発展は次の世代に届けてこそ、である。