広島市内でLGBTなど性的少数者に寄り添う活動を立ち上げた沖縄県出身者がいる。心と体が一致しない性同一性障害を公表し、戸籍上も女性から男性になった當山敦己(あつき)さん(27)。「人と違う自分」に戸惑い苦しんだ過去を糧に、同じように悩む当事者へ講演や交流会を通して語り掛ける。「あなたはあなたらしく生きていい」。6月には沖縄で初めて講演会を開き、体験を語る。(学芸部・新垣綾子)

「ここいろ」のステッカーを手にする當山敦己さん(右)。1歳下の高畑桜さんとの共同代表でLGBTの啓発活動に取り組んでいる=広島市内(當山さん提供)

小学校での出張授業で、2年生の児童に「あっきー」の愛称を紹介する當山敦己さん=2月、広島市内(本人提供)

高校時代の當山敦己さん(本人提供)

「ここいろ」共同代表の當山敦己さん(右)と高畑桜さん(本人提供)

「ここいろ」のステッカーを手にする當山敦己さん(右)。1歳下の高畑桜さんとの共同代表でLGBTの啓発活動に取り組んでいる=広島市内(當山さん提供) 小学校での出張授業で、2年生の児童に「あっきー」の愛称を紹介する當山敦己さん=2月、広島市内(本人提供)
高校時代の當山敦己さん(本人提供) 「ここいろ」共同代表の當山敦己さん(右)と高畑桜さん(本人提供)

自分は何者なのか

 當山さんは宜野湾市で3姉妹の長女として生まれ育ったが、幼い頃から女の子の格好や成長していく体に違和感があった。違和感の正体を知ったのは、普天間高校時代。同じ悩みを持つ同級生に「性同一性障害じゃない?」と教えられた。しかしネット上にあふれる情報は真偽が入り交じり、「自分は一体何者なのか」とさらに混乱した。

 名桜大学3年の時。就職活動が始まり、スーツ姿で受ける講義があったが「レディースは嫌だし、かといってメンズを着る勇気もない」と、揺れ動いた。結局、講義に行けず「なんでみんなと同じようにできないのか」「就職のスタートラインにさえ立てず、生きる価値なんてない」と自らを責めた。

「違うことは魅力」

 目を覚まさせたのは、当時交際相手だった女性の「男らしさ、女らしさなんてどうでもいい。あんたが自分のこと、一番差別しているんじゃないの?」という言葉だ。

 そこからだった。「信頼できる誰かに自分のことを話してみよう」。そう決意し、真っ先に思い浮かんだのがアルバイト先の男性の先輩だった。勇気を振り絞り「男性として生きていきたい」とカミングアウトすると「人と違うことって魅力じゃない? 周りが敵になっても俺が守る」と即答してくれた。

 「この先輩が味方なら怖いものはない。自分に正直に堂々と生きよう」と21歳で正式な診断を受けた。そして社会人1年目の2014年9月、名前を「あづさ」から「敦己」に改め、翌年に福岡で乳腺を摘出。

 術後の激痛に耐えつつ「平らな胸を目にして、解放感とうれしさが込み上げた」。25歳だった16年11月には、タイで子宮と卵巣を取る性別適合手術を受け、間もなく戸籍の性別も変更した。

 性的少数者への理解を広げたいと思い、目立った情報発信や支援活動がない地域に身を置こうと決めた。考えた末、17年2月に広島市へ移住し、広島県出身で、レズビアン(女性同性愛者)の高畑(こうはた)桜さん(26)と出会った。2人とも教員免許を持ち、子ども支援に関心があったことから18年2月、LGBTの子どもたちが集える居場所づくりや、学校での出張授業をスタートさせた。

 「心も体もいろいろ。彩り豊かでええじゃん」の思いを込めた団体名は「ここいろhiroshima」。月1回の居場所活動では小中高生の当事者や保護者、ボランティアが集まって動物園に出掛けたり、バーベキューをしたり。LINE相談も受けている。

故郷で初の講演へ

 「女性として育った僕を知っている人が多いだけに、どういう反応をされるのか怖い」。そんな不安を抱いてきた故郷での講演にも踏み出す。向き合いたいのは「手術も戸籍変更も、事後報告だった」という両親。そして大好きな沖縄の人たち。「沖縄は生きづらさを感じていた僕に、希望をくれた場所でもある。沖縄への恩返しとともに、広島で自分らしく生きている僕は、こんなに幸せなんだと伝えたい」

 講演会は6月8日午後2~4時、浦添市勢理客の浦添商工会議所大研修室で。参加費は千円、高校生以下は無料。問い合わせは當山さん、電話080(6708)5298、メールatuki1101@hotmail.co.jp