クラブ「マダム夕雨子」オーナー 座間味夕雨子さん(61)=宜野湾市出身

 生き馬の目を抜く東京・銀座。広さわずか0・87平方キロの一角に名だたる高級クラブがひしめく。有象無象がうごめき、栄枯盛衰が激しい街に、たった1人で看板を上げて40年。「誰にもまねできないような店にする」。遠く離れた沖縄から上京したうら若き乙女のひそかな決意は、財界や文壇の多彩な人脈に彩られながら実を結んでいく。

「この店が私の居場所です」と語る座間味夕雨子さん=東京・銀座の「マダム夕雨子」

 もともとデザイナー志望だった。服飾の専門学校の同級生に連れられ、銀座へ遊びに来たその日にスカウトされた。高校卒業したての18歳。〈少し不安はあるけど、大人の空間を見てみたい〉。好奇心に誘われるように、夜の社交場の世界に足を踏み入れた。

 家族の猛反対を振り切ってバイトを始めたころ。来店客に沖縄出身だと伝えると「日本語上手だね」と返してきた。頭にきた。〈こんな人たちに負けてたまるか。沖縄の理解度がこの程度なら、戦って勝てる〉。反骨心と自信が芽生えた。

 ほかのホステスが高級マンションに住む中、風呂なしの安アパートに住み、月80万円の給料の大半を貯金。3年後、弱冠20歳で自分の店を持った。

 ホステスは雇わず、文化の薫り漂う店づくり-。銀座では異例の経営方針を掲げた。「一見さんお断り」の会員制。音楽家を目指す学生らを雇い、ジャズやシャンソンを奏でるピアノやギターの音色が客を迎えた。財界トップ、キャリア官僚、文壇をにぎわす作家。「1人でやってるのに、なぜそんなに客層が良いの?」。他店のママがうらやむほどの人の輪が広がっていった。

 「1人でやるには覚悟がいる」。開店当時をこう振り返る。必ずしも勝算があったわけではない。銀座で生き残るためにはどうしたらいいか。すべて直感で決断してきた。金に物を言わせて交際を迫る男もいた。「そういう店じゃないから」。毅然(きぜん)と断り、その人を入店禁止にした。客筋を見極める目利きが銀座で生きる女の真骨頂でもある。

 小説「失楽園」で知られる作家の故渡辺淳一さんも常連客だった。来店してソファに座ると決まって「ここに来るとホッとする。わが家に帰ったよう。ときめきはないけど」とちゃめっ気たっぷりに笑った。客同士が顔なじみになり、和気あいあいと親交を深める雰囲気が人を引きつけた。 「店は私の居場所。どんなことがあってもここだけは守る」。人生に起承転結があるなら、「結」のスタート地点に立っていると思う。何に生きて、何を残すか。「銀座に感謝している。これが私の天職。死ぬまでやり遂げたい」

(東京報道部・西江昭吾)=連載・アクロス沖縄<109>

 【プロフィル・ざまみ・ゆうこ】 宜野湾市出身。普天間高校を卒業後、デザイナーを目指して上京。新宿の専門学校「文化服装学院」で学びつつ、学費を稼ぐため銀座で働き始める。3店舗のクラブを経て、3年後に独立。銀座6丁目に「マダム夕雨子」を開店する。昨年10月、常連の作家や財界人ら約150人が集まり、開店40周年記念パーティーを開いた。