沖縄県は沖縄戦などの戦没者名を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎」に、2019年度は新たに42人を追加刻銘する。県内出身者28人、県外出身者12人、韓国籍の朝鮮半島出身者2人。刻銘者総数は24万1566人となる。

母が当時呼ばれていた「ウサ小」の名で刻銘の申請をした安谷屋正幸さん=28日、糸満市西崎町

申請用の書類を手に「追加刻銘されることになってよかった」と話す野辺憲勇さん=28日、うるま市内

母が当時呼ばれていた「ウサ小」の名で刻銘の申請をした安谷屋正幸さん=28日、糸満市西崎町 申請用の書類を手に「追加刻銘されることになってよかった」と話す野辺憲勇さん=28日、うるま市内

名知らぬ母「ウサ小」

糸満市の安谷屋正幸さん

 糸満市西崎町の安谷屋正幸さん(82)は母の刻銘を申請した。母の最期に接した時、安谷屋さんは8歳ごろ。母の本名を覚えておらず、記憶をたどって役場に申し込んだ。母が周囲から呼ばれていた「ウサ小(グワァ)」の名で刻まれる予定だ。

 豊見城市田頭の出身。祖父母と母と戦火を逃げ惑う中、高嶺村(現糸満市)の十字路付近で艦砲射撃に襲われた。土ぼこりが巻き上がり、振り向くと母が倒れているのが見えた。

 母の息はあったが、自力で首を立てることもできなかった。祖父は艦砲射撃でできた穴に母を横たえた。「早くおじーとおばーと行きなさい」と言った母の姿を鮮明に覚えている。

 戦後、あの十字路を通り過ぎるたび、安谷屋さんは母を思う。道端に寝そべり、母と添い寝するように夜を明かしたこともある。年を重ね、子や孫の世代にも母が生きた証しを引き継ぎたいと刻銘を申請した。「今年は平和の礎が会える場所になる」と静かにほほ笑んだ。

祖父の名 喜ぶ一族

うるま市の野辺憲勇さん

 うるま市与那城の野辺憲勇さん(85)は、祖父の武太(んた)さん=享年77=の名前が新たに刻まれることになった。武太さんは1945年6月3日、感染症で亡くなった。

 家族は当時、宮城島に暮らしていた。45年の5月29日、米軍に隣の平安座島に強制的に移動させられたが、武太さんはその際に坂道で転倒。持っていた鎌で左手を切り、やがて破傷風に感染し亡くなった。憲勇さんは「戦争がなければあんな死に方はしなかった」と回想する。

 沖縄戦の犠牲者として刻銘してほしいという思いがあったが、礎には戦闘で亡くなった人の名前が刻まれているのだと思い違いをしていたという。今回、病死者でも刻銘が可能だと知り追加刻銘を申請した。「親族は皆喜んでいる」と話す。祖父の年齢は超えてしまったが、長年の夢がかない安堵(あんど)感に包まれている。