沖縄県与那原町の町民平和の日の21日、町与那原の軽便与那原駅舎展示資料館前広場で記念式典が開かれた。地元中高生たちが平和の意味を掘り下げて作ったメッセージの朗読があり、不戦の心の継承を誓った。子どもから高齢者まで参加して戦没者を悼み、戦火にあった地域の記憶を共有した。(南部報道部・松田興平)

「与那原町民平和の日」式典でメッセージを読み上げる中高生=21日、軽便与那原駅舎展示資料館前広場

 町内中高生らでつくるジュニアリーダークラブ13人は、平和学習を重ねて紡ぎ上げた言葉を交互に読んだ。平和を願う象徴的な言葉「命どぅ宝」の意味を素朴な表現を連ねて追求していく構成だ。

 74年前の光景を「空は戦闘機で黒く染まり」「赤く染まった地面の上では逃げまどう人々の叫び声が響き渡っていた」などと描写している。

 続いて現代を「青い空に飛行機雲が浮かびそれを見てはしゃぐ子ども達」「緑が広がる芝生の上で響きあう笑い声」などと対比させる表現で平穏な日々の価値を浮かび上がらせた。

 子ども3人と参加した上原薫さん(39)は「まだ幼いので行事や言葉一つ一つの意味は分からないかもしれない。でも学ぶ年齢になった時、きょうの記憶とつながると思う」と語った。

 与那原に移住した4年前から毎年参加している熊本県出身の加茂三國さん(78)は壇上であいさつ。「生きた人間の熱い血と涙を戦争は一瞬にして冷たいものにする。悲惨な犠牲の上に、今日の繁栄がある」と語った。

 式典では照屋勉町長の式辞や参列者による献花、シャンソン歌手の石坂美砂さんによる独唱、与那原小児童による合唱があった。町によると1945年5月21日に運玉森東側を米軍が占領。2011年にこの日を記念日に定めて毎年、沖縄戦で破壊された与那原駅舎を再現した同資料館前で式典を開いている。

 また戦時下に米軍が撮影した与那原の焦土と現在の写真を並列して展示する「撮影現場を探して」が役場仮庁舎の町社会福祉センターで始まっている。期間は未定。問い合わせは同町総務課、電話098(945)2201。

平和メッセージ全文

戦(いく)さ世(ゆ)んしまち

みるく世(ゆ)ややがて

嘆くなよ臣下

命(ぬち)どぅ宝

沖縄(うちなー)芝居の中で

琉球王朝最後の国王

尚泰(しょうたい)王が民の前で詠んだ琉歌

沖縄の心を表す言葉として

受け継がれてきたこの言葉-

命どぅ宝

今となっては誰でもわかる聞きなれた言葉-

でもどれほど大事な言葉か

わからなかった

今から七十四年前、沖縄が戦場と化していった

空は戦闘機で黒く染まり

地上には火の粉が雨のように降りそそいだ

赤く染まった地面の上では

逃げまどう人々の

叫び声が響き渡っていた

女性や子ども、老人たちは

ガマや壕の中で飢えに耐えながら

今日を必死に生き延びようとしていた

だがその思いも叶(かな)わず

砲弾に倒れた人もいれば自ら命を絶つ人もいた

青年たちは夢や希望を捨て

国の為(ため)に戦った

自らの命も武器にして-

その人々はどのような思いで

命を絶ったのだろうか

あれから時が流れた今

青い空に飛行機雲が浮かび

それを見てはしゃぐ子ども達-

緑が広がる芝生の上で

響きあう笑い声-

今なら分かる気がする

大切な人と笑い合えること-

みんなが笑顔で幸せだと思えること-

命があり、平穏な日々を

何事もなく過ごせること-

語り継いでいこう

「命どぅ宝」

あの日と同じ過ちを

もう二度と

くり返さない為に-