「もし幸いにも生還をするならば再び父母兄弟の顔が見られる事でしょう」−。17日に報道機関向けに公開された県立第一中学校(現首里高校)の元学徒の遺書。修復作業を終えた14通からは、沖縄戦で鉄血勤皇隊に動員された若者たちが国のために死ぬことを覚悟しつつも、身近な人との別れを惜しむ心情がつづられている。(社会部・徐潮)

生徒の遺書を見せる養秀同窓会の太田幸子副会長(右)と中今純事務局長=18日、那覇市首里金城町の養秀会館

修復作業を終えた県立第一中の生徒の遺書

生徒の遺書を見せる養秀同窓会の太田幸子副会長(右)と中今純事務局長=18日、那覇市首里金城町の養秀会館 修復作業を終えた県立第一中の生徒の遺書

 公開したのは、同校の同窓会「養秀同窓会」。現在もほかの遺書の修復作業を進めている。

 「アキラ」と署名された遺書は、米軍の本島の上陸に「実に実に残念で憤慨に堪えません」と書きつつ、「家族は健在なりや平安座の幸姉はどうなった。自分にとって心配なのは唯これ一つです」と親族を思う気持ちをのぞかせる。

 「御国の為に大君の為に散る覚悟でいます」との一文の後には「もう一度父母兄弟の顔が見たくてたまりません」。最後に「決死敢闘悔いなし」と締めくくった。

 ほかの遺書にも「十八年の長い間育んで下さった事に対し御恩返しできない不幸な子であった。長生きして下さい」などと、家族との別れを惜しむ表現がみられる。

 同窓会の太田幸子副会長(68)は「お国のためにと言いつつ、どこかで生きていたい気持ちもぽつりと出ている」と、揺れ動く元学徒の胸の内をおもんぱかる。

 戦時中に動員された県内21校の学徒隊のうち、学校として遺書を書かせたのは一中学徒隊だけとされる。生き残った一中元学徒らの証言などによると、外地での戦争経験を経て同学徒隊本部に配属された将校と、当時の藤野憲夫校長がよく口論していたという。

 太田副会長は「当時の一中学校関係者は、これが勝ち目のない戦争であり、死を覚悟しなければならない時だと冷静に判断したのでは」と推測する。

 遺書や遺髪などの遺品は、那覇市首里金城町の養秀会館で見られる。一部のレプリカは3月から同館で展示している。太田副会長は「同じ世代の元学徒が書いた遺書は若者の心に響くものがある」と話している。