沖縄戦時に旧日本軍の化学兵器の一種「嘔吐ガスを発する有毒性の発煙筒」が見つかっていたことが、1945年7月作成の米陸軍報告書で明らかになった。旧日本軍が中国戦線で使用した「くしゃみ剤」(嘔吐剤、別名・あか剤)入り化学弾とみられる。過去に県内で同じものと疑われる砲弾が見つかっているが、立証できる資料はなかった。専門家は「沖縄戦時の毒ガス問題を解明する糸口になる」と期待する。

 旧日本軍の化学兵器を巡っては、98年に糸満市新垣の陸軍病院壕で猛毒のシアン化水素(青酸)入り手りゅう弾(別名・茶瓶)とみられる容器1個が見つかった。2008年9月には那覇市内で回収された不発弾7発の中に、くしゃみ剤入り化学弾の疑いがある砲弾2発が含まれていたと防衛省が発表している。

 1998年に糸満市で見つかった手りゅう弾を化学弾「茶瓶」と断定した神奈川大学の常石敬一名誉教授(科学史)は「沖縄戦で旧日本軍が化学兵器を持ち込んだ記録はこれまでない。米軍の分析した結果の報告書が確かなら、旧日本軍が所持していたことを初めて立証できる」と期待を込める。

 98年当時は容器だけ見つかり、中身の分析で青酸の痕跡を見つけたため化学弾と結論付けたという。常石名誉教授は「沖縄戦時の旧日本軍の文書は焼却処分されており、嘔吐ガス含めて沖縄に持ち込んでいたという証拠はまだなかった」と振り返る。

 くしゃみ剤について「塹壕(ざんごう)に潜む敵を燻(いぶ)りだすためのもの。密室で使われなければ人を殺す能力は強くない」と解説。「沖縄戦(の戦況)を考えると旧日本軍が使える状況はなかったはず」とし、満州や中国戦線から移った部隊が持ち込んだ可能性を指摘した。その上で「なぜ、どのような経緯で持ち込まれたのか。解明は難しいが、沖縄戦の毒ガス問題をもう一度調べる意味が出てくる」と話した。

 くしゃみ剤は旧日本軍が製造したジフェニルシアノアルシンとジフェニルクロロアルシンのこと。気道や目を強く刺激し、催涙効果と激しいくしゃみ、せき、嘔吐、不快感を引き起こす化学兵器で、嘔吐剤とも呼ばれる。常石名誉教授によると、当時の毒ガスマスクでは防げないため致死性の高いほかの毒ガスと一緒に使われたという。

米軍の報復恐れ不使用

 吉見義明・中央大学名誉教授(日本近現代史)の話 国内で旧日本軍が米軍の上陸を想定して化学兵器を準備していたのは事実。先制使用することはないが、米軍に使われた場合、報復するためだ。沖縄にあっても不思議ではなく、配備された部隊が中国から移動した時に持ち込んだこともありうる。

 中国では通常兵器で突破できない時に敵陣に撃ち込んでいた。逃げ出すかガスを吸って戦闘不能になったところを銃剣で殺すことも。ただ、連合国軍には報復を恐れて使っていない。特に米軍は本格的な毒ガス戦を展開する恐れがあり、旧日本軍に使用中止命令が出ていた。沖縄戦で旧日本軍がもし化学兵器を使っていれば、報復する米軍の使用規模を考えると、ものすごく悲惨なことになっていただろう。

研究ハードルなお高く

 吉浜忍・元沖縄国際大学教授(県史編集委員会委員長)の話 沖縄戦時に化学兵器が存在した紛れもない証拠だ。米軍は次の本土決戦に備えるため、沖縄の戦いを詳細に記録していた。武器や陣地の造り方などスケッチや写真で多く残している。そこでも化学兵器が使われた記録は出てこないが、米軍も日本軍も化学兵器に対応する部隊は編成していた。沖縄では旧日本軍が師団クラスに配置した部隊で制毒隊というのがあった。

 ただ、しっかり検証できていない。「くしゃみ剤」より恐ろしい青酸入り「茶瓶」が約20年前に見つかった時も裏付ける資料はなく、県史には一切出さなかった。物は確かにある。だが、なぜ持ち込まれ、戦術的にはどうだったのか。きちっとした資料がない限り研究ハードルは非常に高い。