【うるま】米軍の戦闘機が墜落し住宅や宮森小学校を破壊、18人が犠牲になった戦後最悪の米軍機事故から60年。11人の幼い命が失われた学びやで営まれた追悼慰霊祭では、事故への怒りと、悲しみの声があふれた。(中部報道部・宮城一彰、大城志織、平島夏実、勝浦大輔)

犠牲者の遺影に見入る慰霊祭出席者=30日午前11時55分、うるま市石川・宮森小学校(田嶋正雄撮影)

 事故当時宮森小2年生で、同窓生代表あいさつに立った島袋力夫さん(67)は「復帰後も重大事故や部品落下が多数報告されている沖縄の空は60年前と何も変わっていない。それどころか辺野古に新たな基地を建設しようとしている」と危機感を募らせた。

 島袋さんは「安全保障の観点から米軍基地が必要だというのであれば、沖縄の基地の半分でもいいから県外で引き取ってほしい」と語気を強めた。

 式典終了後、犠牲者の遺影に駆け寄った伊波光枝さん(72)は当時、戦闘機の一部が突っ込んだ6年3組の教室にいた。全身をやけどした2年生の女の子が「お母ちゃん、お水がほしい」と歩いていた光景が目に焼き付いている。

 同じ学級の3人が命を落とした。遺影を見つめながら「生きていたら子どもや孫がいて、楽しいこともいっぱいあったはずなのに」と目に涙を浮かべた。