自転車は危険じゃない-。5月26日にあった「第12回ツール・ド・宮古島2019」で島袋直樹さん=享年57、沖縄県那覇市=が競技中の事故で亡くなった。6月30日、同県名護市内で開かれた「第30回屋我地サイクルロードレース大会」の参加者らが、喪章を着けて走り冥福を祈った。島袋さんが所属していたチーム「男塾福山」の村上譲治さん(59)は「コースに(フェンスなどの)ガードがあれば助かった。主催者が安全なレースを組んでくれればよかった」と悲劇が繰り返されないよう願った。(運動部・當山学)

開会式で故島袋直樹さんをしのび黙とうする参加者ら=6月30日、名護市内

「ツール・ド・宮古島2019」スタート直前の島袋直樹さん=5月26日、宮古島市内(村上譲治さん提供)

開会式で故島袋直樹さんをしのび黙とうする参加者ら=6月30日、名護市内 「ツール・ド・宮古島2019」スタート直前の島袋直樹さん=5月26日、宮古島市内(村上譲治さん提供)

 島袋さんは1980年の栃木国体に県勢1号として出場した沖縄自転車競技界の先駆者の一人。昨年の屋我地大会ではシニアの部で優勝した。

 宮古島ではゴール直前の下り坂で前方2台との接触を避けようとして道路脇の街灯の柱にぶつかった。即死状態だったという。

 事故から約1カ月後の屋我地大会。「追悼ライド」には、島袋さんと同じチーム以外からも加わって約80人が島袋さんの愛したコースを踏み締めた。塾長の宇野祐造さん(42)が「直樹さんはこの大会に命を懸けてきた。そのスピリットを忘れない」と声を詰まらせながらスタートの号令をかけた。

 村上さんは「まだ受け入れられない人もいる。喪章を着けて走ることで、少しでもその人たちの気が楽になれば」と話す。

 今年のシニアの部を制したチームメートの河野竜也さん(48)は「自分が勝たないといけないという使命感で走った。島袋さんの姿を想像して走ったが、頭の中では抜かれていた。なかなか勝てないです」と先輩の背中を追い続けた。

 島袋さんの長男で競技歴もある響さん(20)は「まだ実感が湧かない。どこかに行ってまた帰ってくるんじゃないかと」。チームメートの姿に「いろいろやってもらってありがたい。すごい人だったんだ」と父の偉大さを改めて実感していた。