顧問を務めるアイアーン沖尚の部室で談笑する上野浩司さん(右から2人目)。生徒たちの存在が、闘病の励みになった=12日、那覇市の沖縄尚学高校・付属中学校

 「すい臓ガンで教師しています」。那覇市の沖縄尚学高校・付属中学校で理科や情報教育を教えてきた上野浩司さん(60)は、自身のインターネットブログにそんなタイトルを付け、日々の思いを発信している。

 ひどい黄疸(おうだん)や便秘、食欲不振といった症状から、昨年7月にがんが発覚。膵臓(すいぞう)がんは5年生存率が1割に満たない手ごわい病で、進行度は最も重い「ステージ4」だったが、抗がん剤がよく効いて今年3月、患部の切除にこぎ着けた。

 14時間以上の手術と6週間の入院を経て、5月のゴールデンウイーク明けには仕事復帰。職場の支援を得ながら授業や部活動の指導を続けている。「頑張り過ぎないでと心配されるけれど、結局、学校も生徒も大好きなんですよ」

 ブログには病状に加え同僚や友人への感謝、教え子に向ける温かなまなざしがつづられている。体調の波が激しく、再発の恐怖や「残された時間」を意識しながらも「がんになって良かった」と今を受け止めている。

上野さんが日々をつづっているブログ「すい臓ガンで教師しています」

■「覚悟決めた」

 夏休みを前にした7月中旬の夕方。上野さんは顧問を務める「アイアーン沖尚」の部室で、部員たちと向き合っていた。

 東日本大震災の被災地支援やオープンキャンパスでのパネル展企画など、当面の活動について方向性を共有すると、IT分野が得意という高校3年の神谷悠(はるか)さん(17)の豊富な知識が話題に。「悠は大手企業の人たちとも臆することなくコミュニケーションできる。先生も知らない人脈があってびっくりするよ」と語り掛けた。同じ高校3年の金城侑樹さん(17)は中学2年で入部。「この部活で、海外の人とも積極的に言葉を交わす度胸がついた。先生は『行け、行け』と背中を押してくれた」と話した。

 アイアーンは世界各国の若者や教員たちが国際的な課題を議論し交流する世界最大の教育ネットワークで、上野さんが沖尚の教員になった2002年、部活として立ち上げた。そのアイアーンの世界大会を2年後、上野さんを実行委員長に県内で開く計画が動きだしている。「いつか沖縄で、という気持ちはあったが、がんになって覚悟が決まった。絶対にやり遂げたい」

かっぷくがよかった頃の上野さん(左)。2004年にスロバキアであったアイアーン世界大会で、各国から集まった参加者らと撮った(上野さん提供)

■悪化する病状

 全身が黄色くなり、胃や背中の痛み、だるさもあった。心配した養護教諭に強く促され、上野さんが病院を受診したのは昨年7月初旬だった。黄疸(おうだん)を引き起こす血液中の成分濃度が異常に高く、医師には即入院を勧められたが、入院せずにその4日後、生徒を引率し渡米した。「病院の忠告に逆らって行動したという書類にサインした」と苦笑する。

 意志を貫いたのは、米バージニア州で開かれるアイアーン世界大会に参加するため。18年は30周年の節目の大会で、生徒たちと一緒に15年連続参加校として特別表彰を受けることにもなっていた。「私がいなければ海外研修は中止。積み上げてきた生徒たちの努力を無駄にしたくなかった」。体調は米国滞在中も日に日に悪化。緊急入院したのは帰国の翌日だった。

 当初の検査結果は胆管がん。長女(32)が事務職として働く病院へ移り「膵臓(すいぞう)に影がある」と告げられた。間もなく受けた開腹手術。膵臓がんだけでなく肝臓への転移が分かった。

 幸い、昨年9月から4カ月間の抗がん剤治療がよく効いた。深刻な病状だったことを知ったのは今年3月ごろ、膵頭部の切除と十二指腸や胆のう、胆管の全摘手術を受ける直前だ。医師に「抗がん剤が効かなかったら打つ手がなかった」と説明された。「逆に言えば、膵臓がんの厳しさをよく分かっていなかったから、精神的ダメージが少なくすんだ」と思う。

2012年にアイアーン沖尚の生徒らとオランダの「アンネ・フランクの家」を訪れた上野浩司さん(左)。この旅では、ベルリンの壁やアウシュビッツ強制収容所の跡地にも足を運んだ(上野さん提供)

 とはいえ、抗がん剤の副作用に苦しめられた。味覚障害に脱毛、下痢、便秘。かつて身長166センチで88キロあった体重は50キロ台半ばに激減し、入退院を繰り返すうちに筋力も落ちていった。

 復職していた昨年末には、1人暮らしのアパートで胆管炎と胆のう炎を発症した。血圧が急低下し意識がもうろうとする中、学校へ病休の電話。異変を感じた事務員や養護教諭が救急車を呼んでくれた。「どんなに強がっていても、本心はどうだったか。時々どうしようもない不安に襲われ、涙が出た」

■周囲が闘病を支え

 ありのままの病状を自分の口やブログで公表してきた。闘病を支えてくれたのは世界各地の友人や生徒、保護者たち。学校側も受け持ちの授業を減らし、体調が悪い時の代行講師として大学院生を雇ってくれた。「授業は1こま70分。体力がないので、しんどければ代行の先生に任せて、私はそばでちゃちゃを入れ、時々職員室で休ませてもらっている」と感謝する。

14時間余に及んだ手術の縫合痕を示す上野浩司さん。かりゆしウエアはかつてのXLからSにサイズダウンしたという=11日、那覇市の沖縄尚学高校・付属中学校

 人に頼み事ができるようになったことが「がんになって良かった」と繰り返す一番の理由だ。一人で何でもやってきたつもりだったが、周りに支えられてこその自分だったと気付いた。

 手術から4カ月たち今のところ再発はない。この先5年の尺度で自らを見つめ、身の回りの家電製品や衣類、膨大な文書などを整理。「残りの人生をどう生きるか、真剣に考えるようになり、やるべきことが見えてきた」と充実した表情を見せる。

 今も薬の副作用などで絶不調の時がある。ただ「完全にネタにしていますよ」と笑う。「俺が命懸けで教えているんだから、もうちょっと頑張ってみろ」。進路の決定や受験勉強に臨む生徒たちには、そう言ってハッパを掛けるという。(学芸部・新垣綾子)