高校生だった1991年、夏の甲子園大会決勝で、球場にいた。沖縄水産の県勢初優勝を見届けたかった。沖水はよく打った。13安打8得点。大阪桐蔭の猛打は、さらにすさまじかった。13失点。4連投のエース大野倫さんが右肘を剥離骨折していたと知ったのは、大会の後だった

▼岩手県大会の決勝に大船渡の佐々木朗希投手が出場せず、賛否両論が起きている。国保(こくぼ)陽平監督は「壊れる可能性が高いと思い、私が判断した」。学校に「なぜ投げさせなかった」と抗議が殺到し、パトカーが出動した

▼甲子園を目指してきた部員たちは、納得できないかもしれない。投手として聖地の喜びと苦しみを知る桑田真澄さん、ダルビッシュ有さん、菊池雄星さんらは、決断に肯定的だ

▼チームのため、勝つ確率を上げるか。希代の剛球投手を守るか。どちらも大切で、おそらく正解はない。大野さんは「必要なのはルールづくりだ」と提言する

▼仮に80球の球数制限があれば、佐々木投手は余力を持って登板できた。「国保監督の決断は、高校球界を変えた。今は批判されても10年後、風穴をあけた指導者と評価されるでしょう」

▼壊れた肘で投げ続けた大野さんは、頂点を決める試合で投手生命を絶たれた。過密な大会日程も再考できないか。選手を守り、地域の応援団も納得できる制度をつくる時だ。(吉田央)