宜野湾市の比嘉正雄さん(90)は嘉数国民学校を卒業した1942年、三菱長崎工業青年学校に入った。養成工員として造船所で働きながら学べる学校で、試験を勝ち抜いた者が進める狭き門だった。沖縄からの同級生は53人。3年後の原爆投下で、ほぼ全員が被爆した。