変わらない空 沖国大ヘリ墜落15年(2)小2だった上原一将さん

 15年前の8月13日夕方。当時、宜野湾市立志真志小2年生だった上原一将さん(22)は、友人宅のベッドの下で息をひそめていた。

ガソリンスタンドがあった場所を自宅アパートから見る上原一将さん=7月31日、宜野湾市佐真下

 きっかけは、友人の母親からの電話だった。受話器を取った友人は「近くに爆弾が落ちたみたい。家の外には出ないで、静かにしてるようにって」。2人でどうしようか考え、ベッドの下へ潜った。「もしかして戦争じゃないか」

 慰霊の日が過ぎてからまだ日が浅く、学校の授業で見た沖縄戦の写真がよみがえった。戦争で親を亡くした兄妹を描いた映画「火垂(ほた)るの墓」も頭に浮かんだ。

 まもなく、自宅アパートに戻るよう勧められ、上原さんは屋外に出た。救急車やパトカーが何台も集まっているのが見えた。共働きの両親が仕事を切り上げて帰ってきて初めて、米軍ヘリの墜落だと知った。

 戦争ではなかったが、たった200メートル先での出来事。何より、自宅アパートの向かいには当時ガソリンスタンドがあった。両親が「あそこに落ちていたら大爆発。うちは跡形もなかったね」と話していたのを、上原さんは覚えている。

 「小学生なりに、自分の中で衝撃だったんじゃないですかね」。夏休みの絵画の宿題で描いたのは、真っ黒に焦げた事故現場のアカギだった。

 上原さんはその後、地元の少年野球チームに入団。進学した岐阜の大学でも野球に打ち込む日々で、墜落のことはほとんど話題に出さずに今春卒業した。「あの時ベッドの下に隠れていたと大学で話したら、笑われたかも。事故で誰かが亡くなっていたら、真剣に聞いてもらえたかも知れないけど」。奇跡的に死者が出なかったことによるジレンマに、今も戸惑いがある。「亡くなってからじゃ遅いのに」

 当時のガソリンスタンドはコンビニに変わり、アカギの絵はどこかにいってしまった。勤め先への道は、墜落現場の沖縄国際大とは逆方向。事故から15年間、気持ちのやり場がないまま暮らしてきたが、ことし7月に転機があった。

 勤務先に頼まれて入った参院選の応援。基地問題への思いを切々と語る候補者を目の当たりにし「この人が伝えようとしていることをちゃんと感じ取りたい」と思った。22歳で初めて投じた1票。大学で出会った大阪出身の友人に「政治に関われるっていいやん」と励まされた。ヘリ墜落の記憶との向き合い方が、見つかったような気がした。

(中部報道部・平島夏実)

 米軍普天間飛行場所属のCH53D大型輸送ヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学に墜落・炎上してから13日で15年がたつ。当時を記憶する人々に、今日までどう向き合ってきたのか聞いた。