父が長崎で被爆した石川元泰さん(65)=沖縄県豊見城市=は9日、長崎市で開かれる平和祈念式典に初めて出席する。今回、沖縄からただ1人の遺族参加だ。昨年亡くなった父、元二(げんに)さん=享年94歳=から聞いた当時の話は、きのこ雲と火柱が上がっていたことと、たくさんの遺体を見たことだけ。石川さんは「もっと聞いておけばよかった。式典でいろんな遺族や体験者とつながり、話をしたい」と思いを語る。(社会部・國吉美香)

父の元二さんへの思いを語る石川元泰さん=7月31日、那覇市小禄

 沖縄県の原爆被爆者の証言をまとめた資料によると、元二さんは仕事を求めて1942年7月、19歳で長崎に渡って造船所に勤務した。爆心地から約9キロ離れた香焼(こうやぎ)島で作業中に、21歳で被爆。爆発する音や光を感じた後、工場のガラスが無数に落ちてきた。

 証言集には「とっさに船の足場の下にとんで、かくれました」「原爆がおちてから二、三時間後でした。どこもかしこも死人の山でした。翌日から五日くらいは死体の処理作業でした」と書かれている。

 石川さんは元二さんの体験を細かくは知らなかった。だが今年、法事で集まった親戚から、元二さんが遺体の処理をしていたことを知らされた。「まさかそんなことまでしていたとは」。言葉も出なかった。

 生前、元二さんに被爆の重い後遺症はないように見えた。ただ、証言集には戦後沖縄に帰った石川さんが、足の痛みに悩まされていたことも記されている。

 寡黙な父が、どんな光景を目にし、思いを抱えてきたのか。今はもう確かめようはない。

 もしかして沖縄出身者だから遺体の処理をさせられていたのでは。父が重度の被爆を受けていたら、自分は生まれていなかったのでは-。原爆投下から74年、石川さんの胸にはいろんな思いがよぎる。

 「当時を知る人も少なくなった。継承のために式に参加し、私なりに学んできたい」