中国残留孤児として1982年2月に40年ぶりに帰国した宜野湾市嘉数の伊波盛吉さん(78)が、当時見舞金を贈ってくれた地元の嘉数中学校2年2組(野原勝也学級長)のメンバーを探している。伊波さんは「慌ただしい中でお礼をいう機会がなかった。生徒たちの厚意は忘れたことはない。生活も落ち着き、当時の生徒さんらに会って直接お礼を言いたい」と再会を待ち望んでいる。

当時の生徒たちにお礼が言いたいと語る(左から)伊波盛吉さん、妻の亜希子さん、友人の宮城勲さん=宜野湾市嘉数

伊波さんの帰国を伝える1982年2月28日付本紙紙面

当時の生徒たちにお礼が言いたいと語る(左から)伊波盛吉さん、妻の亜希子さん、友人の宮城勲さん=宜野湾市嘉数 伊波さんの帰国を伝える1982年2月28日付本紙紙面

 伊波さんの父盛重さん(故人)は1942年、妻ヨシさんと、当時1歳の盛吉さんを連れて第9次伊漢通開拓団に加わり、旧満州の三江省(現在の黒竜江省)方正県に入植した。現地で次男と三男が生まれたが三男は生後間もなく死亡した。

 盛重さんは現地招集され出兵し敗戦でシベリアに抑留された。その間妻ヨシさんも心労で、次男も死亡したという。

 伊波さんは現地で行方不明になり中国人の養父母に育てられた。その後、中国残留孤児のことをテレビで知り、父子が沖縄で再会を果たしたのが82年2月だった。伊波さんはいったん戻り、同年12月、妻亜希子さんと息子2人と4女を連れて永住帰国をした。

 帰国後は父盛重さんの農業を手伝いながら中華料理店のコックや車両整備士、土木作業などをこなしながら6人の子を育て、10人の孫に恵まれた。

 この間、伊波さんがずっと忘れられなかったのは、帰国当時に見舞金を贈ってくれた嘉数中の生徒たちのことだった。友人の宮城勲さん(81)に相談し、本紙を通して生徒たちを探すことになった。「今では51歳か52歳ぐらいで、社会人として活躍していると思う。感謝の気持ちを直接伝えることができれば」と話した。

 伊波さんの連絡先は電話090(9782)9356。(翁長良勝通信員)