■公職者の芸術表現への介入の問題点

 さて、「今回の展示中止がテロ事件だ」との大前提を確認したところで、表現の自由に対する行政機関の介入問題について検討しよう。

 今回、河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官が、展示内容への疑義を表明しつつ、展示や補助金支出に介入する姿勢を示した。もちろん、河村市長や菅官房長官も、個人の立場であれば、展示物を自由に論評する権利を持っている。

 しかし、個人の表現の自由は、行政機関としての立場を離れた場所で、個人としての発言であることを明示して行わねばならない。公職としての立場を利用して、特定の芸術表現について介入するのは、憲法上の問題がある。

 まず、芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべきものだ。市長や官房長官は行政のプロであって、芸術判断の専門家ではない。市長や官房長官が、表現内容の適切さを理由に介入するのは、越権行為だろう。他方、大村秀章愛知県知事は、展示物の内容について、一切のコメントを避けている。芸術専門職の自律を尊重する態度として、妥当だろう。

 なぜ、行政機関が、芸術表現に示された内容を理由に介入することが許されないのか。それは、表現の自由の侵害や、思想・信条による差別に当たるからだ。

 もちろん、憲法21条が保障する表現の自由といえども、絶対無制約な権利ではなく、公共の福祉による制約を受ける。

 そして、どのような表現を公共の福祉によって制約すべきかを示したのが、刑法や民事上の不法行為だ。わいせつ物陳列や名誉毀損など、犯罪や不法行為となる表現は、芸術表現としての一線を越えたものとされ、刑罰や賠償金の支払いを命じることが許される。逆に言うと、犯罪や不法行為に当たらないにもかかわらず、公的機関が表現活動を規制すれば、表現の自由の侵害として違憲だ。

■発表の場を奪う、思想・信条の差別

 また、直接に表現を規制しなくとも、特定の表現内容について、合理的根拠もなく公共施設での展示機会を奪ったり、補助金支出を撤回したりすれば、憲法14条が禁止する思想・信条による差別となる。なぜなら、そうした行為は、「ここで表現された思想・信条は、公的空間での発表に不適切だ」とのメッセージを人々に与えるからだ。

 河村市長や菅官房長官は、今回の展示の関係者に刑罰を科したり、損害賠償を請求したりすることを示唆しているわけではないから、表現活動を規制したとはいいがたい。しかし、犯罪や不法行為となる表現でないにもかかわらず、発表の機会を奪ったり、補助金の撤回を示唆したりすることは、憲法14条が禁止する公権力による思想・信条に対する差別となっている可能性が高い。

 今回の事件で、最も重要なのは、脅迫者をきちんと特定し、刑事罰を科し、損害賠償を請求して責任をとらせることだ。また、河村市長や菅官房長官などの行政機関や、国会議員らが、脅迫者と芸術表現を守る側、どちら側に立っていたかを見極めるのも重要だ。

 河村市長らが、「展示内容については、芸術監督の判断を尊重する。脅迫や妨害は絶対に許されない」というメッセージを出していたら、事態は変わっていたかもしれない。公権力の担い手は、自らの言動が脅迫を助長しないよう最大限配慮する必要がある。(首都大学東京教授、憲法学者)    

 きむら・そうた 1980年、横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同大助手を経て2006年から首都大学東京准教授、16年4月から教授。主な著書に「憲法の創造力」や共著「憲法の条件-戦後70年から考える」など多数。本紙に「憲法の新手」連載中。ブログは「木村草太の力戦憲法」。ツイッターは@SotaKimura