15年前の8月13日に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリコプター墜落事故では、米軍が大学構内を含む民間地を一方的に封鎖した。日本側の警察、消防のほか、宜野湾市長も、副知事も立ち入りを許されない「日本の主権が侵害された空間」が突然生じたのだ。事故機が衝突した大学本館の内部に入り、事故現場を撮影した琉球朝日放送(QAB)の記者とカメラマンは、米兵から録画済みテープを出すよう威圧されながら「事故の実態を報道する」と逃げ切った。米軍の対応は日米地位協定に違反していると指摘してきた新垣勉弁護士は「日本の対米従属的な姿勢は15年たっても改善されていない」と語る。(政経部・福元大輔)

(資料写真)2004年に起きた沖国大ヘリ墜落事故

笠間博之カメラマンの前に立ち、テープの提出を求める米兵=2004年8月13日、宜野湾市の沖縄国際大学(琉球朝日放送提供)

「スクープを撮ったと両手を上げて喜ぶ状況ではなかった」と話すQABの笠間博之映像デスク(右)と、実近良雄専任部長=那覇市久茂地の琉球朝日放送

(資料写真)2004年に起きた沖国大ヘリ墜落事故 笠間博之カメラマンの前に立ち、テープの提出を求める米兵=2004年8月13日、宜野湾市の沖縄国際大学(琉球朝日放送提供) 「スクープを撮ったと両手を上げて喜ぶ状況ではなかった」と話すQABの笠間博之映像デスク(右)と、実近良雄専任部長=那覇市久茂地の琉球朝日放送

■「ノーキャメラ」阻む米兵

 本館の窓ガラスを粉々に割った大きな部品が部屋の中に横たわっていた。その窓から焼け焦げた機体がはっきりと見えた。

 QABの実近良雄記者(現コンテンツビジネス部専任部長)と、笠間博之カメラマン(現報道部映像デスク)は、事故から約2時間後、報道機関として最も墜落現場に近づいた。

 米軍が立ち入りを規制していた本館内には警報器が鳴り響き、焦げ臭さが漂っていた。他のマスコミは自分たちのいる建物にカメラを向けている。ただならぬ緊張が走った。

 本館に入る前、現場周辺に到着した2人は米軍の取材妨害に遭い続けた。米兵がカメラの前に帽子をかざし、「ノーキャメラ」と執拗(しつよう)に追いかけてきた。「少しでも核心に近づきたい」「迫力ある絵を撮りたい」。そんな報道マンの意識が、いらだちを増幅させていった。

 他のマスコミや市民らの不満や怒りも高まっていた。「米軍に規制する権利があるのか」「ここは植民地ではない」。あちらこちらで怒号が飛び交った。

■どこまでばかにする気か

 事故の1時間後、事故機と同じ普天間飛行場所属のCH46ヘリが現場上空を旋回した。「どこまでばかにする気か」。ヘリを追う笠間さんのカメラは震えた。

 「駄目と言われるまで進んでみよう」

 実近さんの提案で、本館に近づいてみた。「むやみやたらに入ろうとしたわけではない」。本館の裏側に規制線のない、開いたままの扉があった。ピザやハンバーガーを食べる米兵2人と目が合ったものの、止められることはなかった。

 本館の1階、2階、3階と撮影した。ヘリコプターの部品の一つ一つがテープに刻まれる。機体は原形をとどめていない。事故の実相が少しずつ見えてきた。

 10~15分後、3階の外階段に出た時、事故機のそばにいた米兵に見つかった。5~6人に階段を引きずられるように下ろされ、1階で囲まれた。