終戦から74年を迎えた15日、戦後廃校になった県立農林学校の戦没者を追悼する慰霊祭が嘉手納町の農林健児之塔で開かれた。鉄血勤皇隊に召集され、同校初の犠牲者となった田本清さん(享年18)の弟で声楽家の徹さん(81)も石垣市から訪れ、鎮魂の歌をささげた。同窓生や遺族ら約50人が参列。犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。

兄や犠牲になったみ霊に鎮魂の思いを込めて歌う田本徹さん=15日、嘉手納町嘉手納の農林健児之塔

犠牲者のみ霊に祈りをささげる参列者=15日、嘉手納町嘉手納の農林健児之塔

兄や犠牲になったみ霊に鎮魂の思いを込めて歌う田本徹さん=15日、嘉手納町嘉手納の農林健児之塔 犠牲者のみ霊に祈りをささげる参列者=15日、嘉手納町嘉手納の農林健児之塔

 塔には戦争で亡くなった同校の教師や生徒ら500人余が刻銘されている。

 1942年に41期生として入学した清さんは「とても頭が良く、家族の誇りだった」と徹さん。だが、米軍の本島上陸直前の45年3月26日に鉄血勤皇隊の陸軍2等兵として駆り出され、その2日後、比謝川近くで米軍の機銃掃射に遭い死亡した。

 塔近くの石碑には、清さんが亡くなる前日に詠んだとされる「辞世の句」が刻まれている。「比謝川の たながをとりし かのおとこ いつかうるまの はなとちるらむ」。学校近くの比謝川でテナガエビ(タナガー)を捕っていた若者も、いつかは沖縄で散っていく-と覚悟の思いがにじむ。

 同校最後の入学生となった43期生の瀬名波榮喜さん(90)=那覇市=は当時、親戚の家に下宿していた清さんと親交があった。「とてもかわいがってくれた先輩だった。亡くなった全員が、元気であれば多くの社会貢献をなされていたであろう」としのぶ。

 徹さんが慰霊祭を訪れるのは2017年以来2度目で、歌うのは初めて。同郷の作曲家、宮良長包の代表作「えんどうの花」「なんた浜」を切々と歌い上げると、目頭を押さえる参列者もいた。徹さんは「歌を通して兄や犠牲となった多くのみ霊に安らかにお眠りくださいとの思いを込めた。次世代に平和の尊さや戦争の悲惨さを伝えていきたい」と語った。

 同窓生を代表して追悼の言葉を述べた渡口彦信さん(92)=読谷村=は「再び愚かな戦争を起こさないためにも、沖縄戦を風化させることなく後輩に語り継ぐ責務を全うする」と反戦平和を改めて誓った。