1788人を乗せて那覇を出発した学童疎開船「対馬丸」が、1944年8月に米軍の魚雷を受けて鹿児島県悪石島沖に沈んでから22日で75年を迎えた。那覇市若狭の慰霊碑「小桜の塔」では蒸し暑い天候の中、遺族や生存者約550人が集まり、鎮魂の思いを胸に慰霊祭を開いた。

対馬丸慰霊祭で、犠牲者の冥福を祈り手を合わせる参列者=22日午前、那覇市・小桜の塔(下地広也撮影)

 慰霊祭では冒頭、船の汽笛が場内に流される中、参加者が黙とうをささげた。県内の児童らでつくる「つしま丸児童合唱団」が「ふるさと」などを歌うと、遺族らは涙を拭い、犠牲者を悼んだ。

 主催する対馬丸記念会の高良政勝理事長(79)は「皆さまの帰りをひたすら待ち続けていたご遺族も年を追うごとに少なくなりましたが、子や孫へと引き継がれてたくさんの人にご参列いただきました」と語り掛け、「争いや戦争のない世界を希求し、ご冥福を祈ります」とあいさつした。

 玉城デニー県知事は「遺影を見る度に、胸が張りさけそうな思いに駆られます。このような痛ましい悲劇が二度と繰り返されることないよう、教訓を次の世代へ正しく語り継ぎ、世界の恒久平和の実現に向けて全身全霊をささげていくことをお誓い申し上げます」とメッセージを寄せた。

 対馬丸記念館によると、対馬丸の正確な犠牲者数は分かっていない。氏名が判明しているだけで1484人、うち学童784人の犠牲が確認されている。記念館では犠牲者の申請も受け付けているが、昨年の慰霊祭から今年まで、新たな申し出はなかった。

 一方、これまで遺影がなかった学童4人、船員1人について、遺族から今年提供を受け追加展示した。伊波興和さん(当時12歳、那覇国民学校)▽島袋正一さん(当時15歳、那覇国民学校)▽島袋勝雄さん(当時11歳、天妃国民学校)▽菅田芳治さん(当時22歳、対馬丸船員)▽新垣恵美子さん(当時12歳、天妃国民学校)の計5人で、遺影は犠牲者の約4分の1に当たる387人分、340枚になった。

 例年は昼の慰霊祭のみだが、今年は対馬丸が沈んだ午後10時12分に合わせて遺族らが記念館に集い、追悼式も開いた。