◆祈りの旅 南洋戦75年(上)

「旅の参加者に私の祈りを託したい」と話す高宮城清さん=16日、北谷町

北マリアナ諸島(米)

「旅の参加者に私の祈りを託したい」と話す高宮城清さん=16日、北谷町 北マリアナ諸島(米)

 サイパン島、テニアン島の沖縄県出身者計約9千人が犠牲になった地上戦から75年。50回目を迎える南洋群島帰還者会主催の慰霊の旅は、今年で最後となる。一方、体調などを理由に参加できない人たちもいる。25日からの出発を前に、参加者へと託す思いを聞いた。(社会部・新垣卓也)

◆島中をさまよう

 ジャングルを逃げ惑っていたさなか、20~30メートル先のサトウキビ畑から突然、人影が現れた。一歩一歩近づいて見ると、明らかに米軍兵だった。「母さん、あれは敵だよ!」

 太平洋戦争時、日本の委任統治領だった旧南洋群島のサイパン島で、日本軍の組織的戦闘が終わった後の1944年7月中旬。当時12歳だった高宮城清さん(87)=北谷町=は、一緒に島中をさまよっていた母に向かって叫んだ。

 後ろを振り返らず、一目散にジャングルへ逃げたが、乳飲み子の弟をおぶっていた母は捕まった。米軍の捕虜になったら辱めを受けて殺される-。そんな「戦前の教え」が頭をよぎり、母と弟の死を覚悟した。

◆タッポーチョ山を目指す

 その1週間ほど前、父と8歳下の弟、妹2人を艦砲射撃で失った。家族7人で大木の根元に身を隠したが、艦砲の集中攻撃を受け、妹2人と弟は弾の破片で頭をやられて即死。腹に破片が刺さった父も、翌日の昼には息を引き取った。

 残ったのは「自分一人だけだ」。高宮城さんはそう思い込み、島の北東部から、サイパンで最も高いタッポーチョ山を目指して南下した。

 崖や畑を歩き回り、唯一持っていたかつお節の塊で、なんとか空腹を抑えた。歩き疲れ、ススキの茂みに隠れて眠った時、夢で見たのは家族だんらんの楽しい光景。目が覚めると、誰もいない現実に引き戻され、むなしさだけが募った。

 「戦時中はいろんなことがあったけど、あの時の気持ちはね、今でも言い表せないですよ」。当時を思い出し、高宮城さんは声を詰まらせた。