ふるさとへの祈り 南洋戦75年(5) 金城米子さん(89)ら家族 那覇市

 晴れ空の下、トランペットの澄んだ音色が響いた。8月27日、サイパン島の「おきなわの塔」で開かれた慰霊祭。奏でられた「ふるさと」「芭蕉布」の2曲を、参列者は懐かしそうに聞き入った。

金城米子さん(手前)の車いすを押す孫の伊計佳奈子さん(右)、ひ孫の仲松ともえさん(左)と棚原リリカさん=8月29日、サイパン島

 奏者は、初めてサイパンを訪れた中学2年の棚原リリカさん(14)=西原町。父や親戚を亡くした金城米子さん(89)=那覇市=のひ孫の一人だ。

 「サイパンで亡くなった人々に届けたい」。多くの県出身者が命を落とした場所で、棚原さんは哀悼の気持ちを音に込めた。

 サイパンで生まれた金城さんは、製糖業を中心に展開した国策会社「南洋興発」に勤務する父と母、きょうだい4人の計6人で暮らしていた。

 空襲が激しくなり、一家は密林の中をさまよった。1944年7月ごろ、島北部の崖下にたどり着いた。

 身を潜めていると突然、崖の上へ涼みに行っていた父の叫び声が聞こえた。親戚が安否を確かめに行った時にはすでに亡くなっていたという。米軍が迫り、その場で「捕虜」になった。父の遺体を見ることはできなかった。

 金城さんは今回、孫とひ孫2人を連れてサイパンを訪れ、父が犠牲になった崖近くや自宅があった場所を訪ねた。

 「いろんな場所を自分の目で見て、聞いて、戦争の悲惨さを実感した」と棚原さん。金城さんの戦争体験を「友達にも話してみたい」と話す。

 初めて旅に参加したもう一人のひ孫、仲松ともえさん(15)=中城村=も「体験を聞くと改めて怖いと思った。逃げることさえ、大変だっただろうな」と曽祖母の辛苦に思いを寄せた。

 今、過去の戦争を知ろうとする人は少ないと感じる。だからこそ「サイパンのことを皆に知ってほしい」と願う。

 金城さんは2年前、軽い脳梗塞で倒れ、慰霊の旅への参加を断念した。最後となる今回、体調に不安を抱えながら「家族を迎えに行く」気持ちで加わった。

 旅中、金城さんの車いすを押したのは孫の伊計佳奈子さん(31)=那覇市。サイパンは2回目だ。

 初めて訪れた5年前と比べ、参加者の高齢化を感じた。「次の世代が継ぐことの重要さが増している」との思いを強くした。

 「うれしいですよね、こうやって一緒に来てくれて」。孫やひ孫の姿に金城さんは目を細めた。反戦を誓い、平和を尊ぶ心が世代を超えてつながっている。(社会部・新垣卓也)=おわり