中城村出身の仲村秀一朗さん(32)が、沖縄県出身者として初めて米州開発銀行に採用され、中南米の経済開発を支援することになった。子どものころ家庭の問題に苦しめられたという仲村さん。昔の自分のように理不尽な状況にいる子どもたちに、伝えたいことがある。「一度きりの人生、投げ出すな。運命は変えられる」。そう話す背景には、逆境をバネに突き進んできた人生があった。

県出身者として初めて米州開発銀行に採用された仲村秀一朗さん

 父親はアルコール依存症で、専業主婦だった母親は子育てに無関心だった。周囲は中卒や高卒で生きるのが精いっぱい、苦労する大人の姿ばかり目に映った。環境を変えようと両親に懇願して地域外の中学校を受験。「勉強を頑張れば、母親にも認めてもらえるかもしれない」という期待もあった。

 ところが中学2年の夏、母親が蒸発。「社会は平等じゃない。何でうちは皆のような家じゃないんだろう」。親せきの支援で勉強は続けたが、愛情に飢え、次第に何に対しても冷めていったという。

 転機は25歳のとき。人の生死を目の当たりにし、酒を飲んで気ままに遊ぶ自身の生活を見直した。働きながら通信制の大学院で「国際協力と開発」を学び始めた。高い志を持つ学友に刺激を受け「自分も、生身の価値を磨きたい」と勉強に励んだ。

 ブランドの時計や車に満足し、憧れて彫った全身タトゥーも「見せかけで空っぽ」に感じ始めた。少しずつ手放していった。

 「途上国で役立つ人材になりたい」。2017年に国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてジャマイカに赴任し、防災活動などを担った。しかし派遣される立場では出来ることに限界があると感じ、国際機関での勤務への挑戦を決めた。

 米州開発銀行では、英語の面接、与えられた課題の分析と解決策を提案する筆記試験を受けた。「物おじしない性格が良かったかもしれない。『自分なんかが』って思うとチャンスを逃す」と笑う。

 「家庭の問題や貧困を抱えていると、大きな夢や目標は描けない。一歩一歩しか進めない」と自身の体験と重ねる。「頼れる大人を探し自分の可能性をあきらめないこと。踏ん張って生きていれば必ず何かにたどり着く」。それが、逆境に負けないこつだという。(久場まどか)