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毒ガス漏出「解毒剤打て」 後遺症に悩む米兵 初めて語る沖縄での事故 機密に阻まれ進まない実態解明

2019年10月7日 05:00
9秒でまるわかり!
  • 1969年に米軍基地であった毒ガス漏れ事件、被害者の元米兵が証言
  • 息苦しさ、視界の異常を訴え、解毒剤を注射。後遺症に今も苦しむ
  • 当時の検査結果は機密で知らされず、健康被害調査もされていない

 【ジョン・ミッチェル特約通信員】1969年7月に米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫地区)で起きた毒ガス漏出事故で、被害に遭った米兵の一人、ダニエル・プレモンスさん(69)=米ミズーリ州=が初めて本紙の取材に応じた。プレモンスさんは、今なお後遺症に苦しみ、「機密」の壁で治療や実態解明が進まない現実を語った。

米ミズーリ州の自宅でくつろぐ現在のダニエル・プレモンスさん(提供)

第267化学中隊の兵士として沖縄に駐留中、同僚と写真に収まるダニエル・プレモンスさん(右)=1969年(提供)

米軍の医療部隊用車両の前に立つダニエル・プレモンスさん=1969年、米国(提供)

米ミズーリ州の自宅でくつろぐ現在のダニエル・プレモンスさん(提供) 第267化学中隊の兵士として沖縄に駐留中、同僚と写真に収まるダニエル・プレモンスさん(右)=1969年(提供) 米軍の医療部隊用車両の前に立つダニエル・プレモンスさん=1969年、米国(提供)

 事故のあった69年7月8日、当時19歳のプレモンスさんは、陸軍第267化学中隊の特技兵として、同弾薬庫で化学兵器の保守管理という最も危険で秘匿性の高い任務を行っていた。

 神経ガスの詰まった500ポンド(227キロ)爆弾を塗装し直す作業中だったという。「25個ほどやり終えた時、息苦しさと視界の異常を感じた。ほこりのせいだと思い少しの間外に出たが、戻った時にはみんな建物の外にいて、私に解毒剤を打てと叫んでいた。私は太ももの付け根に持っていたバネ仕掛けの注射針を打ち込んだ。痛かったが、おかげで命は助かった」

 その後1週間、軍医がプレモンスさんら20人以上の兵士の血液を検査した。だが検査結果は現在まで機密とされ、知らされていないという。

 事故1年後には肺炎のため2週間入院するなど、現在までプレモンスさんの呼吸器の問題は続いており、末梢まっしょう神経障害のため長時間眠ったり、立ち歩いたりすることができない状態だ。娘たちも深刻な健康問題を抱えており、プレモンスさんはそれも事故と関連があるのではないかという。

 米退役軍人省の複数の医療施設を訪ねたが、医師たちは「神経ガスによる長期的な健康被害について科学的な調査はなされていない」と語るだけだった。プレモンスさんは「事故に遭った同僚の足跡をたどることもできず、彼らもこうした症状を抱えているのか、そもそも存命なのかすら分からない」と話した。

毒ガス洗浄器具 海に投棄か

 毒ガス事故後、米陸軍第267化学中隊の特技兵だったプレモンスさんは、沖縄から船で約1時間の海域にコンクリートで固められた容器を投棄する作業に参加した。「事故現場を洗浄するのに用いた道具が詰められていたのでは」と推測している。

 知花弾薬庫での任務の間、プレモンスさんはしばしば、神経ガス漏出の警報器代わりのウサギを世話した。「貯蔵庫の検査の際、私たちは漏出をチェックするためウサギのかごを出入り口近くに置いた。(ガスに)さらされると人間より早く死ぬから」。7月の事故の際、同僚は周辺にいたウサギが死んだと話していたという。

 プレモンスさんによると、弾薬庫には製造後数十年たったマスタードガス弾も貯蔵されていた。砲弾からは頻繁に泡状の液体が漏れ、同僚らと共に除去しなければならなかったという。

検知器代わりのウサギ多数殺害

 プレモンスさんは沖縄を離れる前に、今も忘れられない最後の任務遂行を命じられた。毒ガス検知に用いられたウサギの一部を殺害することだ。「上官たちは数百匹も私たちに殺すよう命じた。理由は分からない。子どもにでも売ればよかったのに」

 プレモンスさんは現在、化学兵器と戦争全般に強く反対している。「沖縄の人々がこうした兵器による害を受けなかったのは幸いだ」とした上で「沖縄がもはや米国支配の下になく、かつてより大きく自立していることは喜ばしいことだ」と話した。

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