教師として子どもたちを守れなかったこと、事故が起こる前に米軍機の飛行停止を求めなかったことを悔いていた。「基地あるところに戦争が来る」とも語った。石川・宮森630会の豊濱光輝会長が12日、亡くなった
▼豊濱さんは、1959年6月30日に起きた石川・宮森小への米軍ジェット機墜落に教員として遭遇した。遺体安置所で犠牲になった子どもを遺族に渡す役割を務めた
▼話し上手な豊濱さんだが、安置所のことは、たびたび言葉をつまらせた。思い出すのは相当苦しかったに違いない。それでも、宮森とその後も続く基地の危険性を語り続けた
▼事故を語り継ぐ630会として、ためらう関係者を何度も訪ねて協力を求め証言集をつくり、惨劇を形にした。「ぜひ報道して広く伝えて」、記者にもそう言っていた
▼昨年、第3次嘉手納爆音訴訟で証人として法廷に立った。「米軍機が飛ぶたびに安置所を思い出す」「なぜこんなに戦争の道具が必要なのか。なぜ沖縄なのか。あれから何も変わっていない」と強く訴えた
▼亡くなる直前まで、同会事務局メンバーに「(退院するまで)もう少し待って」と話していたという。使命感は衰えず4冊目の証言集編集などを考えていたのだろう。「忘れない。繰り返さない」。豊濱さんの遺志を心に刻み、ご冥福をお祈りする。(安里真己)