小学生のころ、ヤクルトスワローズのファンクラブ会員だった。年会費3千円で、神宮球場に入り放題だったからだ。スワローズは弱かった。隣に座ったおじさんに「昔の国鉄はもっと弱かったよ」と聞き、驚いた。唯一の400勝投手、金田正一さんは、その弱小球団で353勝した。享年86歳

▼スポーツ誌「ナンバー」の初代編集長、岡崎満義さんは1986年の著書で、戦後日本社会の“天皇”に3人を挙げた。映画監督の黒澤明さん、日本医師会の武見太郎会長、野球の金田さんだ

▼貧打の国鉄で勝つには、自分で打つ必要もあった。通算本塁打が38本ある。監督に「投手は打撃練習するな」と言われると「打てずに負けたらあんた、わしの生活の面倒を見れるのか」と一喝したという

▼傍若無人なだけではない。母の「初任給を全て食費に使いなさい。来年は倍もらえる働きをして、また全部食べなさい」との教えを守った。同僚が悲鳴を上げる走り込み量と合わせ、頑丈な体をつくった

▼200勝した投手は、名球会入りの資格を得る。超一流の証しだ。2人分の条件を1人で積み上げた実績は、想像も難しい

▼晩年はロッテ監督時代のまな弟子、村田兆治さんら名球会員と、糸満市で野球教室をしたことも。80歳を超えても野球の普及に情熱を傾けた。昭和を象徴する投手が旅立った。(吉田央)