私は人面魚の話を聞いていたはずが、糸数さんは突然、撮影してきた写真や思い出の新聞記事を広げて、自分の人生を話し始めた。

 糸数さんは20代の時はダイナハ(現・那覇市のジュンク堂書店)で働いていた。「この時の私、カッコいいって言われていたよ。芸能人にも似ていると言われて、もううれしくてね」

糸数さんは右

 
 写真の裏には「27歳の夏 万座ビーチ」。
 糸数さんは同僚と行ったようだ。

 

 いや、よく読むと同僚の友だちも一緒だったのかもしれない。
 「何月何日に撮ったって忘れないように、一枚一枚、現像したら全てに思い出を書いてますよ」

 糸数さんはこの後、ビデオカメラマンに転職する。リージョンクラブという沖縄の老舗レストランで、昭和のスター・三田明や橋幸夫が営業で来た時に撮影をしたり、トゥシビー(成年祝い)やトライアスロンなどをカメラに収めてきた。

ビデオカメラマン時代。43歳のころ。父の日の仕事で

 転職したころに出合ったのが、カメラだった。
 「35歳ごろかな。カメラをやっていた友だちに誘われて始めた。飛行機とか、城とか。何を撮ろうとか思ってない。撮りたいものが見つかったら撮る感じ」

 1990年。当時の海洋博覧会祈念公園管理財団が実施した「みどりの日」フォトコンテストで397点の応募作品の中から銅賞を受賞。新聞に「糸数幸栄」の名前が載った。

 そして、1994年にも新聞に載った。糸数さんが大切に持っていた新聞の切り抜き。右後ろに写っているという。

 
糸数さんのアップ写真