「公」と芸術ーあいちトリエンナーレが残したものー 豊見山愛

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」ではアートと表現の自由、公権力による関与が問題となった。出品作家や学芸員らに見解を寄せてもらった。

豊見山愛

モニカ・メイヤーさんの変更前の作品《The Clothesline2019》=写真:Ito Tetsuo(あいちトリエンナーレ実行委員会提供)

モニカ・メイヤーさんの変更後の作品《沈黙のClothesline》=写真:Yorita Akane(あいちトリエンナーレ実行委員会提供)

豊見山愛 モニカ・メイヤーさんの変更前の作品《The Clothesline2019》=写真:Ito Tetsuo(あいちトリエンナーレ実行委員会提供) モニカ・メイヤーさんの変更後の作品《沈黙のClothesline》=写真:Yorita Akane(あいちトリエンナーレ実行委員会提供)
とみやま・めぐみ 県立芸術大学図書・芸術資料館非常勤などを経て県立博物館・美術館主任学芸員。主な展覧会企画に「儀間比呂志の世界」「山元恵一展」など。

 8月1日から始まった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は、65万人もの鑑賞者を集めた。事業的には多くの人々の興味を引いたという点で、成功したといえる。しかし、残念なことにトリエンナーレの一部である「表現の不自由展・その後」の美術作品について電話やメールによる抗議が殺到し、わずか3日間で展示中止となった。

 中止を受けて、出展作家の一人であるモニカ・メイヤー氏が同月9日、展示の再開を訴えて自身の展示内容を変更した。この作品は、来場者が差別や暴力に関する問いかけに回答をカードへ記入する参加型インスタレーションだったが、洗濯ばさみでロープに留められるはずのそれはなく、代わりに未記入の破られたカードが床にばら撒かれた。「表現の不自由展・その後」は10月8日には、再び息を吹き返した。

 「あいちトリエンナーレ2019」に関するこの騒動は、日本が開催する国際芸術祭のあり方を問う大きな事件である。特に驚いたのは、文化庁による補助金不交付決定の報道である。そもそも「表現の不自由展・その後」が、一部の市民から政治的かつ感情的な議論が起きることを、主催者側は予想していたであろう。そうであるなら展示中止は、観客に対して重大な損失を与えたこととなり残念である。しかしそれでも、10月8日に展示が再開されるまでの時間も含めて、美術作品を媒介して複数の思考経路を開き、観客自身が社会のありように関して考える機会にもなったと思う。

 行政の首長である大村秀章愛知県知事が、今回のように脅迫行為が起こったことで、安全面での危機意識を優先させ、展示を一時中止と判断することまで想定しての「表現の不自由展・その後」だったのかはわからないが、この結論についての評価は二分するだろう。そのこともふまえた上で、それでも「表現の不自由展・その後」の一時中止は、この国際芸術祭の全体を否定するものではないと考える。よって、文化庁による補助金不交付決定には驚きを禁じ得ない。

 私は「あいちトリエンナーレ2019」で優れた美術作品と出会い、世情に翻(ほん)弄(ろう)される人々の寄る辺なさをわが身のこととして思い描くことができた。だからこそ「表現の不自由展・その後」の一時中止後、「表現の不自由展・その後」以外の出展アーティストが自作の一時不展示をもって、事務局側に抗議をせざるを得ないことには、深い悲しみを覚えた。それでも美術作品の一部を見られないことに、会場が殺伐としている雰囲気はなく、観客は一時不展示のいくつもの扉が閉まった前でメッセージに目を通し、その心意を静かに受け止めているようであった。

 この国際芸術祭で私は、私たちが生きている時代の状況、つまり同時代性を捉えた国内外のアーティストの表現に触れ、ゆるやかにアートを通してつながることの奥深さを知った。であるから、国際芸術祭の一企画のみに焦点をあてて、その是非を討論するようなことは無意味だと考える。世界中で開かれている国際芸術祭を見ても、近年の美術動向はポリティカルなものだけではなく、芸術と社会との関係性がより強く結びついた美術作品に、評価が高まっている印象だ。「あいちトリエンナーレ2019」もその流れを汲み、社会の中で埋没しがちな日常から、非日常を意識させる作品が展示されていた。

 国際芸術祭という形式は、美術館が主催をする企画展のそれとは大きく異なるが、沖縄美術の現場にいるわれわれが学ぶべきことは多い。それはアーティストに対して、「公」を建前に表現形式をゆがめてはならないということや、キュレーターが倫理観に照らして作品を見極めることの重要さ、またその仕事に対して市民から評価を得ることなどだ。キュレーターとして知識と倫理観を保ち続ける努力はますます、求められるであろう。

 「あいちトリエンナーレ2019」がわれわれに提示した課題は、倫理観と「公」の概念が揺らいでいる今の社会状況を、どのように変えていくかということである。一方で懸念されるのは、本件に端を発し市民から「現代美術は難解で厄介」や、「現代美術は反社会的だ」という誤解が生じることで、私たち美術現場の人間は、丁寧に説明するようにしていかなければならないと思う。

 なぜならば、沖縄の美術を調査研究し展示する県立美術館の活動も、道なき道を切り拓き、歴史に埋もれる直前の美術作品を救い上げて、その価値を高めていく仕事だと私は考えているからである。よって現代美術に通底する丁寧さが、沖縄美術の現場にいるわれわれの仕事にも求められている。美術を愛する市民には、名品主義に偏ることなく〈新しい美術〉=新しい価値観とつながる可能性を、遮断しないで欲しい。

 今後アートを語るプラットフォームとして、「公」の美術館が自律的に活動を重ねるためには、市民と相互にコンセンサスを取り合う必要があるだろう。公の概念と美術館のあり方を問い直す、新たな時代の扉が開いたことは間違いない。