[鼓動を刻む 命つなぐ心臓移植](1)

 安里猛さん(67)が胸の辺りに「とてつもない力で圧迫されたような痛み」を感じたのは、宜野湾市長を務めていた2011年の夏だった。

所有する畑でカーブチーを収穫しながら「無心になる。楽しいよ」と笑顔を見せる安里猛さん。元気になり、宜野湾市の自宅から家族の付き添いなく出掛けることも増えた=17日、本部町

オスプレイの普天間配備に反対し、座り込みを行う宜野湾市長時代の安里猛さん(右)。この1カ月後に心筋梗塞で倒れた=2011年6月、宜野湾市役所前

所有する畑でカーブチーを収穫しながら「無心になる。楽しいよ」と笑顔を見せる安里猛さん。元気になり、宜野湾市の自宅から家族の付き添いなく出掛けることも増えた=17日、本部町 オスプレイの普天間配備に反対し、座り込みを行う宜野湾市長時代の安里猛さん(右)。この1カ月後に心筋梗塞で倒れた=2011年6月、宜野湾市役所前

 妻の美佐子さん(69)と共に、本部町内に所有する畑で草刈りをしていたさなか。その日は午後から高校野球の県大会決勝があり、宜野湾市の中部商業と糸満の対戦カードが予定されていた。「僕は市長だから、中部商業が優勝したら甲子園で応援しよう。その時は一緒に行こうね」。美佐子さんにそんな言葉を掛けたと記憶している。

 暑さのせいもあってか気分が悪くなり、座っても横になっても痛みは治まらない。「ただごとではない」と心配した美佐子さんが運転する車で、自宅近くの病院へ急行した。心筋梗塞だった。

 前兆がなかったわけではない。心臓の血管の詰まりを指摘され、3カ月前にステントと呼ばれる金属を挿入し血管を広げる治療を受けていたからだ。診療歴があるその病院に到着すると、医師からは「内科的治療で、じきに良くなる」との説明を受けた。役所を通し、軽度の心不全で1カ月程度の入院が必要になったと公表し「一日も早く公務に復帰できるよう頑張りたい」とコメントしたのは倒れてから9日後のことだ。

 ところが見通しとは裏腹に、病状は日を追うごとに悪化し集中治療室(ICU)にとどまった。食事が取れないため2週間で急激に痩せて衰弱し、血圧が急降下。心停止状態に陥った時には、電気ショックで息を吹き返した。「別の世界に旅立とうとする猛を、何度も引きずり降ろした」。美佐子さんは沈痛な表情で語る。

 9月初旬、意識不明の夫を「すがるわらもない」思いで転院させたのが、高度な心臓治療で実績を重ねる西原町の琉球大学医学部付属病院だった。

◇    ◇

 約20時間かけて体外式補助人工心臓を装着した安里さんは、一命を取り留めた。が、壊死(えし)が広範囲にわたった自らの心機能は戻らなかった。さらに抵抗力の弱い状態では死に至ることがある緑膿(りょくのう)菌の感染に襲われた。在宅生活も可能な埋め込み式に切り替えれば、公務復帰できると粘ってきたが、感染症がコントロールできず断念せざるを得なかった。

 「残された道は心臓移植しかない」。主治医で琉大病院第二外科の國吉幸男教授と稲福斉講師に告げられた現実と向き合った。

 米軍普天間飛行場の移設問題を抱える宜野湾市のトップ不在は、市民生活への影響はもちろん、県や国の関係者にとっても大きな関心事だ。「これ以上、決断を先延ばしにして迷惑は掛けられない」。市幹部を病院に呼び、厳しい病状を説明。副市長を通じて市議会議長へ辞職願を出したのは11年12月28日、市長初当選からわずか1年1カ月後のことだった。

 現職市長の進退を探ろうとするメディアをはじめ、議員や知人らさまざまな問い合わせに追われていた美佐子さんは「正直、これで病状を隠さなくていい。楽になれると安心した部分もあった」と胸の内を明かした。

 病気辞職を届け出た3日前、その美佐子さんの日記には祈るようにこう書かれている。〈子ども達にはプレゼントがあります。猛にもステキなプレゼントがありますように。猛の心臓が強くなっているというプレゼント〉

 自前の心臓の代わりに大型の補助人工心臓が刻む機械音が響く中、安里さんはICUのベッドの上でクリスマスを迎えた。

■    ■

 元宜野湾市長の安里猛さんは在任中に重度の心不全で生死をさまよい、心臓移植で助かった経験を持つ。倒れるまでは意識しなかった何げない毎日の尊さや患者・家族の苦悩を痛感。移植から5年がたち、ドナーから命を受け継いだ自分にできることは何かを問い、動き始めている。

(学芸部・新垣綾子)