「人々の知恵と技を集めた琉球の文化が消えていく。これは現実なのか」

入院中の病院で、首里城が燃え落ちるニュース映像に接し「あまりの衝撃に声が出なかった」と話す前田孝允さん(左)と、見舞いに来た妻の栄さん=31日午後、那覇市内

 沖縄県指定無形文化財「琉球漆器」保持者の前田孝允(こういん)さん(82)=那覇市=は31日早朝、入院中の病院で首里城火災のテレビ報道に接した。あまりの衝撃に開いた口がふさがらず、ぼうぜん自失に。やがて妻の栄さん(74)が見舞うと、抑えていた涙があふれ出した。

 朱色地に金の竜や五色の雲が描かれた柱、螺(ら)鈿(でん)や沈金を施した調度品…。足掛け約30年にわたって、王朝文化の華とも言える漆芸の復元を手掛けた。古文書など史料がほとんど存在しない中、絵柄や色の手掛かりを求めて国内外を視察し、ゼロから生み出したものばかり。首里城自体を「赤瓦のふたをした巨大な漆の器」と誇りにしてきた。

 「一緒に首里城を造ろう」。50代で再婚した栄さんにはこうプロポーズした。工期が近づけばアトリエにこもり、1日2~3時間の睡眠で乗り切った。正殿2階に鎮座していた国王用の椅子「螺鈿玉座」は、移動時に装飾を傷付けてはいけないと、アトリエの柱を切って運び出したエピソードも。

 玉座の上方に掲げられた「中山世土」の扁(へん)額(がく)は、栄さんの病が理由で制作の依頼を断り続けていたが、治療が一段落したその日に国の関係者に懇願され引き受けた思い出がある。

 なすすべなく焼け焦げた沖縄のシンボル。栄さんは「2人の間に子どもがいない分、私たちにとっては、どれもわが子同然の存在。火事は人の魂も奪い去っていく」と肩を落とした。

 それでも前田さんは「私はいつでも物事を前向きに捉えて、仕事に取り組んできた」と気丈に振る舞う。

 この夏以降、手のけがやインフルエンザで崩した体調は回復し、間もなく退院する見込み。「そしたら、すぐにでも復元に飛んでいきたい。まだ、おしまいじゃない」。栄さんは「それがこの人のいいところ。また頑張るしかないね」とうなずいた。