
◆琉球王国の中心地として450年栄える
首里城は1429年に成立した琉球王国の政治、外交、文化の中心だった国王の居城。1879年に最後の国王である尚泰が明治政府に明け渡すまで約450年間にわたり栄えた。築城は14世紀半ばから後半とみられる。
正殿などは戦前、国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失。日本復帰20年を記念して復元されてからは、訪れる人々に沖縄の歴史と歩みを伝える象徴的存在だった。

沖縄の日本復帰の翌年、1973年には、初代沖縄県知事の屋良朝苗氏が会長となる「首里城復元期成会」が発足。国や県に陳情を重ね、復元の機運が高まった。
戦後、跡地には琉球大学が建てられていたが、大学移転後に復元事業が推進され、86年には国が国営公園整備事業として首里城の建設を決定。92年、正殿などが復元され、国営公園として開園した。

正殿前の広場は王国の重要な儀式が行われた場所。中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式で、石組み技術に高い文化的・歴史的価値があるとされ、2000年には首里城跡が世界遺産に登録された。

同年には「九州・沖縄サミット」で各国首脳を迎えた夕食会が開かれ、国内外から多くの観光客が訪れるなど沖縄のシンボルとして内外に知られた。

今年2月には正殿裏側にある御内原エリアが復元を終え、一般公開された。毎年秋には琉球王朝時代の文化を再現する首里城祭が開かれており、琉球王国の栄華を伝えている。

◆復元事業2月に完了したばかりだった
未曽有の戦禍による焼失、そして復元。沖縄の歴史を象徴するような首里城の主要施設が、一夜にして崩れ落ちた。「誇りだった」「もう一度あの姿が見たい」-。多くの県民は深い喪失感に包まれ、再度の復元を祈った。
首里城は琉球王国時代に数百年にわたって政治、文化の中心地で、さまざまな歴史の舞台にもなった。専門家は「県民の心のよりどころだ。衝撃は大きい」と話す。

首里城は丘陵の上に建てられた。城壁で取り囲まれ、信仰上の聖地や広場を含む多くの施設があった。国王一家が居住する王宮で、統治の行政府でもあった。
正殿は2層3階建ての造りで、柱には竜の彫刻。正殿前の広場では王国の重要な儀式が行われた。北殿は行政施設で、役人らが勤務していたという。

琉球大の高良倉吉名誉教授(琉球史)によると、首里城で発掘された最古の遺構は14世紀のものとされる。中国皇帝の使者を接待したほか、浦賀を訪れる前に来航したペリー提督の応対をした場所でもある。
沖縄戦で建物は全て焼失したが、戦後、国や県が復元を進めてきた。今年2月に復元プロジェクトが完了したばかりだったという。

建物は中国と日本の建築文化を取り入れ、独自のアレンジも組み込んだもので、復元に関わった高良氏は「琉球を象徴する存在だ。戦後の復興過程で、強い思いを込めて復元した沖縄のアイデンティティー。損失は計り知れない」と指摘した。
復元された首里城には天然の漆が塗られ「建物自体が工芸品」とも称される。那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は「貴重な文化財も収蔵されている。どうなったのか心配だ」と話した。
