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美しい首里城よ「もう一度」 猛火に耐えた大龍柱、焼け跡に希望

2019年11月5日 18:00

[失われた象徴 首里城炎上](3)変わり果てた姿

 がれきと化した首里城正殿跡に、1対の大龍柱だけが焼け残った。とぐろを巻き、鎌首を持ち上げて仁王像のように構える柱状の龍。柱に巻き付く龍の装飾は中国や日本で見られるが、龍自体が柱になった形は琉球独自の意匠だ。

全焼した正殿で実況見分する消防職員と焼け残った龍柱2体=2日、那覇市首里当蔵町・首里城内

焼ける前の首里城正殿。正面に2対の龍柱が見える

正殿の小龍柱を制作する西村貞雄さん=1989年6月(本人提供)

首里城整備検討委員会の委員として復元計画に携わった安里進さん=2日、那覇市首里池端町の自宅

首里城の基本・実施設計を担当し龍柱などを制作した西村貞雄さん=2日、糸満市武富のアトリエ

全焼した正殿で実況見分する消防職員と焼け残った龍柱2体=2日、那覇市首里当蔵町・首里城内 焼ける前の首里城正殿。正面に2対の龍柱が見える 正殿の小龍柱を制作する西村貞雄さん=1989年6月(本人提供) 首里城整備検討委員会の委員として復元計画に携わった安里進さん=2日、那覇市首里池端町の自宅 首里城の基本・実施設計を担当し龍柱などを制作した西村貞雄さん=2日、糸満市武富のアトリエ

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 復元された首里城の龍柱を制作した彫刻家で琉球大学名誉教授の西村貞雄さん(76)=糸満市=は、独自の造形文化が詰め込まれた城の変わり果てた姿に「研究と技術の集積が一瞬にして消えた」と肩を落とした。

 火災の前日、元美術教師らを連れて城を案内したばかりだった。一見中国の紫禁城に似た外観。だが単なる模倣ではなく、「中国と日本の文化を基にした琉球独自の文化の結晶」と首里城の価値を語る。

 基本・実施設計の委員で龍柱を含む正殿の復元作業に携わった。わずかに残った戦前の写真や図面を観察し、中国や東南アジアなどを視察した。龍のうろこや背びれの数を数えて柱の高さを確認するなど、地道な作業で戦前の姿を解明していった。

 その文化の結晶が灰と化した。「人生の多くの時間をかけた物が失われたのはつらい。でも手掛かりがほとんどなかった戦後の復元と比べ、資料はある。再建に向けもう一度全力投球だ」

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 国の首里城整備検討委員会の委員だった県立博物館・美術館前館長、安里進さん(72)は10月31日早朝、サイレンの音で目を覚ました。龍潭のほとりにある自宅から窓の外を確認すると、正殿が赤く燃えていた。見慣れた景色の惨状にぼうぜんとした。

 だが、復元に携わった当事者だからこそずっと落胆してはいられない。「火事を防げなかった原因など再復元に向けた検証が必要だ」と前を向く。

 30年前の復元時と比べ、県民の首里城への思いの強さが再建の要になるとみる。当時は日本復帰20年の記念事業として国主導で整備した。安里さんは「沖縄戦が背景にあり、県民の中には『国から与えられたもの』『偽物の首里城』という意識もあった」と振り返る。それが30年かけ、県民のアイデンティティーの一部として定着していった。

 だからこそ強調する。「象徴としての首里城を取り戻すには長い時間をかけてでも、県民が中心となって議論することが大事だ」

 材木の調達、人材の確保、文化財としての価値を保ちながらどう防災対策を施すか。県民が決めることに意味があると考える。

 「焼け落ちた正殿跡に残った龍柱のように、県民も立ち上がらなくては」

 (社会部・松田麗香)

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