[鼓動を刻む 命つなぐ心臓移植](4)

 「承認いただけますか」「記者発表はいつにしますか」。10月初旬、琉球大学医学部付属病院の一室で安里猛さん(67)は持参した資料を配り、意見を求めていた。主治医で第二外科の國吉幸男教授や稲福斉講師らは、細かい文言調整を要望しながら「これで行きましょう」と応じた。

琉球大学医学部付属病院のスタッフと「芭蕉の会」の活動内容について話し合う心臓移植経験者の安里猛さん(左から2人目)と森智秀さん(左)=10月8日、西原町・琉大病院

 広げた資料の中には「芭(ば)蕉(しょう)の会」の文字。「琉大病院を経て本土で心臓移植を受けた患者・家族と医療スタッフによって設立」「移植患者と家族を支える活動を行う」といった説明がある。移植までの過程で難聴になった安里さんは、一人一人の発言を身を乗り出して確認。「ようやくスタートできますね」とほっとした表情を浮かべた。

 心臓移植が可能な国内の医療機関は本土にしかなく、施設がない沖縄の患者は県外へ渡るしかないのが現状だ。手術や退院までの治療費は公的保険が適用され、ドナーの臓器搬送などにかかる費用も一時的な立て替えは必要だが大半は療養費として返還される。

 患者負担は一定補われるものの、それでも島しょ県のハンディは消えない。拒絶反応や感染症の経過観察で術後も1年程度、現地にとどまって通院が求められるため、家族ら付添人を含めた渡航費に加え、生活費の自己負担がのしかかってくるからだ。

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 安里さんも入院・療養で東京都内に約1年4カ月滞在。長女しのぶさん(45)を伴い病院近くに部屋を借りた妻美佐子さん(69)は、東京相場の月十数万円の家賃に想定外の生活費などが積み重なったと振り返る。「猛が助かってほしい一心で無我夢中だったが、かき氷を崩すように貯金が減っていった」

 豊見城市の森智秀さん(47)も急性心筋梗塞からの心不全で、東大病院で移植を受けた。勤務先を退職し、妻と当時中学生、高校生の2子を沖縄に残しての療養生活で「横浜に住む親族宅に居候できたのが幸運だった。それがなければかなり厳しかった」と思う。

 これまで琉大病院からは安里さんと森さんを含む3人が移植に成功し、6人がドナーを待つ。芭蕉の会は、こうした患者たちの窮状に接してきた國吉教授が支援の必要性を痛感。安里さんに提案して発足にこぎ着けた。國吉教授は「本土との医療格差を広く知らしめ、沖縄の人も等しく医療の恩恵を受けられる環境づくりが大切だ」と話す。

 安里さんは会長に就いた。募金活動を展開して今後の患者・家族のための基金をつくるほか、1万人の署名を集め県や県議会などに新たな支援制度の創設を訴える。県事業の中には既に、離島のがん患者や妊産婦、その付添人らが本島など島外通院する際の渡航費や宿泊費を補助するメニューがある。「本土でしか手術できない移植患者にも、同様に目を向けてほしい」と望む。

 移植から5年がたち、家族の付き添いがなくても1人で車を運転し遠出ができるまでに安里さんは元気になった。「いつも誰かに、生き方を見られている気がしている。命を継いだ1人として、少しでも社会に恩返ししていきたい」。左胸をさすりながら決意を語る。

(学芸部・新垣綾子)