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沖縄のシンボル「我々の手で再建」 首里城復元の赤瓦職人ら 焼失の衝撃から立ち上がる

2019年11月8日 05:10

 沖縄の赤瓦の特産地、与那原町の瓦製造業者たちは、職人技の粋を集めた首里城が火災で崩れ落ちたことに「衝撃だった」と口々に語る。変わり果てた姿を見るため日に数回足を運ぶ人もいれば、いまだに現場へ足が向かない関係者もいる。ただ、復元に携わった人たちは悲嘆に暮れながらながらも「絶対に再建させたい」と視線を上げる。(南部報道部・松田興平)

首里城の「女官居室」復元整備で作業する島袋瓦工場の社員。奥に見えるのは正殿の屋根=2016年5月27日(同工場提供)

首里城の「女官居室」復元整備の際に製造した赤瓦のサンプルを前にする島袋瓦工場の島袋義一代表(右)と拓真専務。後ろに並ぶ漆喰シーサーは故奥原崇典さんの作品=5日、与那原町の同工場

首里城の「女官居室」復元整備で作業する島袋瓦工場の社員。奥に見えるのは正殿の屋根=2016年5月27日(同工場提供) 首里城の「女官居室」復元整備の際に製造した赤瓦のサンプルを前にする島袋瓦工場の島袋義一代表(右)と拓真専務。後ろに並ぶ漆喰シーサーは故奥原崇典さんの作品=5日、与那原町の同工場

 1952年創業の島袋瓦工場。2代目の島袋義一代表(71)は「まだ現場に行って見る気になれない」と小さく首を振る。

 同工場は首里城に長年関わってきた。92年に開園した公園のレストラン施工だけでなく、3年ほど前からは「女官居室(にょかんきょしつ)」「世誇殿(よほこりでん)」などの復元整備を任された。今回の火災で傷を負った御庭うなーの磚せんと呼ばれるタイル状の敷き瓦の改修も行った。

 また、島袋代表は正殿の瓦を手掛けた故奥原崇典さんとも縁が深い。奥原さんは同じ地元の2歳下で仲が良く、復元に四苦八苦していた時期に助言もした。

 「弱音を吐く男じゃなかったけど、とても苦労していた。求められる瓦の規格水準が厳しくてトラック3台分運び入れて、2台分ぐらい持ち帰っていた時もあった」

 自社が近年受注した首里城内の赤瓦は奥原さんの瓦も参考にした。

 「当時と同じ原材料があるなしの問題は確かにあるけど、生き物である土をどうコントロールするかも大切。各工程のデータを取りながらいくつもサンプルを作った」と振り返る。

 同工場によると、焼失した建物の床面積を基にしたおおよその計算では、再建に必要な瓦を全て刷新するなら約33万枚を要する。規格に通る瓦を仕上げるのは約50万枚を製造する必要があるという。

 現場を仕切る島袋さんの長男で専務の拓真さん(40)は火災現場を遠目で確認した。「早く敷地に入りたい。どれだけの損傷か、まず見たい」と語る。

 町内に事務所を置く県赤瓦事業協同組合代表で八幡瓦工場の八幡昇代表(69)も組合内で寄付金を募りつつ、自分たちの出番を待つ。淡々とした口調に職人としての自負がのぞく。

 「まだ再建の骨格が見えない状況。ただ、しかるべき時期に各業界が気持ちを一つにしなければいけない。沖縄のシンボルは我々の手で建て直したい」

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