【読谷】戦後、嘉手納弾薬庫に土地が接収された読谷村の旧牧原集落。基地内にたたずむ「チチェーン御嶽」は住民にとって神聖な拝所だ。現在も毎年の例祭では、フェンスの民間地側から拝んでいる。「74年間も閉じ込められてきた住民の心のよりどころを、フェンスの外に開放してほしい」。牧原自治会は本年度中にも、フェンスを御嶽の後ろ側に移動するよう国に要請する。(中部報道部・大城志織)

嘉手納弾薬庫内にあるチチェーン御嶽をフェンス越しに拝む牧原区関係者=7日、読谷村

牧原集落の地図

フェンスから約30メートル先にあるチチェーン御嶽

嘉手納弾薬庫内にあるチチェーン御嶽をフェンス越しに拝む牧原区関係者=7日、読谷村 牧原集落の地図 フェンスから約30メートル先にあるチチェーン御嶽

 旧暦9月9日の例祭があった10月7日。牧原出身者ら約20人が参加し、フェンス際にごちそうを供えて手を合わせた。御嶽は、その数十メートル先にある。

 「私たちの先人たちが入植開墾した牧原は、マチバルンチュのルーツ。フェンスの外に開放することが今を生きる私たちの役目だと思います」。與古田松吉自治会長(70)のあいさつに、参加者は静かに聞き入った。

 戦前、集落にはチチェーングーフと呼ばれる見晴らしの良い丘があり、「チチェーン御嶽」はその上方にあった。かつてはフェンス内に自由に出入りでき、拝所で祈願や集落の行事をしていたが、2001年の米同時多発テロ発生後はそれもできなくなったという。

 母親が牧原出身という與古田自治会長によると、30年ほど前にフェンスを御嶽の後ろ側に移動するよう嘉手納基地の司令官に求め、許可も下りた。しかし自治会で予算を負担することが難しく、当時はまだ立ち入りできたことから断念したという。

 牧原区公民館完成の記念誌や牧原ガイドマップなどによると、牧原はかつて琉球王国の領地で馬を飼育していた牧場を、廃藩置県の時代に入植開墾して形成した集落。戦前は豊かな自然に恵まれサトウキビの産地として栄えていたとされる。

 例祭に訪れた比嘉憲吉さん(87)=村比謝=は「元の集落に戻りたいという思いはずっとある。御嶽はわたしたちにとって大事な場所で、自由に拝みにいけるようになりたい」。大田朝信さん(86)=同=も「せめて祈るときには中に入りたい」と訴えた。

 今年4月に自治会長に就任した與古田自治会長は「国の責務で戦後処理の一環として考えてほしい。牧原の出身者も高齢化しており、関係者と調整して国に陳情していきたい」と話している。

(写図説明)嘉手納弾薬庫内にあるチチェーン御嶽をフェンス越しに拝む牧原区関係者=10月7日、読谷村

(写図説明)フェンスから約30メートル先にあるチチェーン御嶽

(写図説明)牧原集落の地図