民主政治を支える最も重要な権利の一つである「言論・表現の自由」が、さまざまな圧力にさらされ、危機にひんしている。

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に対し、文化庁は交付予定の補助金を全額交付しないことを決めた。

 オーストリアの首都ウィーンで、日本との国交150年の記念事業として開かれている芸術展についても日本大使館が公認を取り消していたことが分かった。安倍晋三首相を思わせる人物が歴史問題で謝罪する様子を表した動画や原発事故をテーマにした作品にクレームがついたという。

 日本軍「慰安婦」問題をテーマにしたドキュメンタリー映画「主戦場」は、映画祭を共催する川崎市から「懸念」が伝えられ、いったん上映中止となったが、映画人や市民の猛反発を受け映画祭最終日に無料上映された。

 歴史の歯車が逆回転し始めたような、憂慮すべき事態だ。

 これらの動きには二つの共通点がある。その内容が「反日的」だとみなされていること、インターネットの会員制交流サイト(SNS)で取り上げられ、リツイートされて拡散していること、である。「電凸(でんとつ)」と呼ばれる電話による匿名の脅迫や嫌がらせで行政を動揺させ、中止に追い込むというケースが常態化しつつある。

 公的施設での講演会が中止になったり、講師が土壇場で差し替えられたりするケースも目に付く。

 「嫌韓感情」に基づくヘイトスピーチの拡散もネット上での執拗(しつよう)な攻撃という点で共通点がある。

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 「反日分子」という言葉は戦前、よく使われた。敗戦によって死語になったと思ったら、いつのころからか息を吹き返した。

 「反日」という言葉は従来、外国人の反日感情のことを指していたはずだが、「反日左翼」「反日マスコミ」などのように対象範囲が拡大し、今や一部週刊誌、ネット上には「反日」という言葉があふれかえっている。

 国際芸術祭のいわゆる慰安婦像や、映画「主戦場」を観て、雑誌やネットなどで批判するのは何の問題もない。

 だが、脅迫や脅しなどで中止に追い込んだり、担当者に陰湿な攻撃を加えるような状況は明らかに度を越している。

 このような状況が放置されれば、生き生きとした自由な言論は確実に失われる。

 今こそ戦前の経験から学ぶべきだろう。

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 アメリカ合衆国憲法の修正第1条は「思想、表現、信仰の自由」を掲げている。この条項を第1条に持ってきたのは、それが最も大切な憲法の中核理念だからである。

 日本国憲法も第21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。だが、憲法で保障されているというだけで、表現の自由を実現することはできない。

 政府批判の自由がなければ表現の自由は成り立たない。表現の自由がないところに民主政治は育たない。