今年、創部100周年の節目を迎えた東大野球部。強豪校に押されながらも東京六大学リーグの一角を担う名門に、県出身者として初めて入部した。文武両道を地で行くチームメートと切磋琢磨(せっさたくま)しながら練習に打ち込む日々。「いつかリーグ戦の試合でプレーしたい」。憧れの舞台に立つ夢は、小中学校時代の親友との約束でもある。

「いつか東京六大学リーグ戦に出たい」と話す島袋祐奨さん=9月、東京都文京区・本郷キャンパス(本人提供)

 東大野球部と沖縄の縁は戦時中にさかのぼる。沖縄戦で住民疎開などに尽力した当時の県知事、島田叡氏は俊足巧打の外野手で鳴らした野球部OB。4年前から毎年沖縄で合宿をする部員らは、島田氏をまつる島守の塔(糸満市)を訪れ、ボールを供える。

 県出身者初の入部は、その合宿がきっかけだった。

 高校1年の3月、東大の選手と一緒に練習し、汗を流した。キャッチボールをした相手は2浪して入学した人。〈頑張れば自分も行けるかも〉。遠い存在と思っていたが、急に身近に感じられた。志望先を琉球大から東大に変えた。

 2年後の冬。最初の関門の大学入試センター試験はまずまずだったが、2次試験の厚い壁にはね返され、合格ラインに40点足りず不合格。福岡市の予備校に1年通い、雪辱を果たす。

 実は、浪人時代に野球への熱がいったん冷めてしまっていた。入学後は新歓コンパで誘われたアイスホッケー部に入る。それでも1カ月を過ぎた頃、再び「野球がやりたい」と思うように。当時の野球部の浜田一志監督に相談すると「来なさい」と言ってくれた。

 今年6月の入部初日。全部員を前に、浜田監督は野球部と沖縄をつなぐ歴史をとうとうと語り「彼は沖縄から初めて入部する」と紹介した。「沖縄を知らずして官僚になるべからず」という教育理念を持つ監督らしい紹介の仕方だった。

 練習は週6日。毎朝5時に起きてグラウンドに向かう。大学の授業がある時間は抜けるが、練習は夕方まで続く。入部してすぐ、神宮球場で早慶戦をスタンドで見た。レベルの高さや華やかな応援に圧倒された。それでも「物怖じせずプレーしたい」と言う。

 興南高で2年前の夏の甲子園に出場し、今は同じ六大学の立教大野球部にいる川満大翔投手は小中学校からの親友。「いつかリーグ戦で一緒に戦おう」。互いに励まし合ってきた。

 「東大に入るだけでは意味がない。これから何をするか。それが、今まで支えてくれた家族や学校の恩師たちへの恩返しだと思う」。成し遂げようとする気持ちが言葉にこもる。

(東京報道部・西江昭吾)

 【プロフィール】

 しまぶくろ・ゆうすけ 1999年生まれ、那覇市出身。安謝小、安岡中、那覇国際高。小3から野球を始め、ポジションは主に内野手。中学では県大会準優勝の経験を持つ。高3で野球部の副主将を務めた。高校卒業後、1浪を経て、今年4月に東大文科二類入学。県出身初の野球部入部に重圧も感じるが「真剣に野球に向き合いたい」と話す。